彼らの世界は別にある『LAMB/ラム』 (2021)

お気に入りの製作・配給会社A24で本作についての告知を初めて見た時から、公開をとっても楽しみにしていた映画『LAMB/ラム』。久しぶりに劇場で鑑賞して感じたのはA24らしい顛末の作品だということ。もちろんそれは「観る人を選ぶ」という意味で ─ 感想後半ラストについての自分語り付き(-ω-)/

■ LAMB/ラム  – Lamb – ■

lamb

2021年/アイスランド・スウェーデン・ポーランド/106分
監督:ヴァルディマル・ヨハンソン
脚本:ショーン他
製作:フロン・クリスティンスドッティル他
製作総指揮:ノオミ・ラパス他
撮影:イーライ・アレンソン
音楽:ソーラリン・グドナソン

出演:
ノオミ・ラパス(マリア)
ヒルミル・スナイル・グドゥナソン(イングヴァル)
ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン(ペートゥル)
イングヴァール・E・シーグルソン


Contents

あらすじ

山間に暮らす羊飼いの夫婦イングヴァルとマリア。大自然の中で日々、仕事に精出す彼らは清貧そのもの。
そんなある日、いつものように羊の出産を手助けしていた彼らが目にしたものは母羊から産まれ出た羊ではない“何か”。夫婦は驚きの言葉をあげることもなく、すぐさま母羊からその子を取り上げ、亡くした娘の代わりに慈しみながら育て始める ─

lamb

『LAMB/ラム』はこんな作品

厳しい大自然の中で長い冬の間も短い夏の間も夫婦と一匹の牧羊犬は日々、羊の世話に明け暮れている。きつい風が年中吹き付け、舞い踊る雪が羊小屋に吹き込むような日であっても、小さな幸せを見つけ充実した毎日を暮らす彼ら。

そんな大自然の毎日が描かれ始まる本作だが、この作品のラストはオープニングで既に描かれていると言っていい。それもとても分かりやすい方法で。ただそれの正体が一体何なのか、人知外の何者かなのか、それとも狂気の人間なのか、悪魔なのか。それはラストまで観ないとわからない。ただラストまで観たとしても、納得できるかはまた別問題だけど(-.-)

登場する羊飼いの夫婦はただただ毎日を真面目に生き暮らしているが、クリスチャンとは描かれていない。家の中の壁に十字架は架けられていないし、食前の祈りもない。だが二人は勤勉で真面目な働き者であり、お互いはもちろんのこと飼っている牧羊犬や羊にさえも愛情深い。その上、好きに生き、面倒に巻き込まれた時にだけ彼らの元にいきなり現れる夫の弟にさえ嫌な顔ひとつしない。

どう見ても敬虔なクリスチャンとしたいところだが、そんな描写は無く、それが元々の夫婦の姿なのか、娘を失ったことで信仰も失ってしまったのか、それとも「信仰」などこの作品には全く関係ないんだよ!という作り手の意志なのかは分からない。
けれど妻の名はマリア。娘の名は“アダ”。

lamb

神はそんな二人からまだ幼い愛する娘を奪い去った。しかしそれとわかる場面は、妻マリアが墓前で手を合わせる数秒ほどのシーンだけ。けれどもそのシーンだけであっても墓標に記されている娘の名前「アダ」を見た時に、いかに彼らが娘を愛していたか、失った悲しみを乗り越えるのに苦労したか、今もまだその苦労が続いているか、などをこちらに胸の痛みと共に訴えかけてくる。

娘の名前“アダ”

この名前を聞いた時(実は作品内で最初に出てくるのは羊の子に呼びかけた時)、とても嫌な予感がした。というのも「アダ」ではなく「仇」で想像したからだと思う。普通に海外では使われる名前のようだが、日本人としては「親の仇を討つ」とか「恩を仇で返す」とかが想像されるからだ。
製作者の意向は不明だけれど、この作品に限ってはこの「仇(かたき)」の意味はそう間違っていないように思う。誰が誰に仇を打つのか、その捉え方は様々だとは思うけど。


高い山の中腹にある二人の牧場。周囲には家はおろか見渡す限り人っ子一人見えない。どこまでも続く白く、あるいは緑の世界。生き物は自分達と一匹の犬、羊たちのみ。そこに現れるのだ。吹雪の中をハーハーと苦しそうな息遣いと共に羊たちに真っ直ぐ向かって歩く何者かが。それが何であれ、最初は羊飼いの夫婦に幸せをもたらした。夫婦は何の疑いもせず、その幸せを受け取ったのだった。

lamb

ここでまず疑念が頭に浮かぶ。だってその「幸せ」はとてもこの世のものとは思えない姿形をしているのだ。いや、だからこそ神から与えられた宝だと二人は感じたのかもしれない。しかしどう考えても違和感はぬぐえない。彼ら夫婦、それに現実的であるはずの弟までもがこの山の世界に囚われてしまったのだろうか。
羊の子はすくすくと育っていく。けれど母羊の瞳に、何よりオープニングの得体の知れない何かの存在に、このまま上手く進むはずがないというのは分かっている。それを湖の小船や急流の川、ライフル、一人ふらふらと遊びに出る羊の子がこちらに恐怖感を煽って来る。

そして案の定、怒涛の展開へ、そして静かなラストへ

ラスト(ネタバレあり)

未見の方はご注意を

ラストの捉え方は観る者によって色々だろうと思う。唖然となった人も多いと思う(‘ω’)
momorexこと管理人が感じたのは、やはりこれは信仰の物語なんだなってことだった。登場人物の信仰心の物語とかいうのではなく、いきなり奪われた愛する我が子の物語。本作では子を奪われた母親は二人いるが、そのうちの一人は自分の命まで無情に奪われた。

平凡でも幸せな毎日を我が子と過ごすはずだったのに、いきなり勝手な理由を付けられ連れ去られた我が子。その子は何も特別じゃない。特別に思うのは母親の自分だけのはず。その子はあなた達を幸せにするために生まれたのではない。母親の自分とごく普通の毎日を生き、暮らし、子を作り、やがて普通に死んでいくはずの子だ。他の関係ない人々を救い守るためにこの世に生まれたのではない。

lamb

母羊は訴えている。
「返して」と。

人間によって“アダ”と名付けられたこの羊の子は、私にはイエス・キリストに見えた。

そしてこの子の父親が我が子を連れ戻しにやって来る。
まずは邪魔な夫を排除する。この子の母親の命を奪ったと同じ方法で。直接母羊の命を奪った妻は愛する夫と子を同時に失うという、とてつもない苦しみを味合わされる。

だがこれは復讐ではない。自分の犯した罪の贖いに過ぎない。だからマリアはラストで静かになる。母親に向けた悪魔のような形相は彼女の顔にはもう見られない。同じ母親として、マリアは母羊をきちんと理解していたからだ。子を奪うなど罪になることを知っていた。夫を失い、自分の子としたかった羊の子を奪われたのは“罰”だと悟ったからだった。

羊である意味

黒い山羊というのはホラー映画では時々登場して、あまりいい意味には使われない。本作では山羊ではなく「羊」が登場。ラストでは人間とは相いれない存在として登場した。なぜ羊なのかというと、夫婦が「羊飼い」(山羊飼いはあまり聞かない)であることと、“従順”などの代名詞でもあることが関係しているのかな。

頭部が獣で身体は人という神あるいは悪魔は案外珍しくて、調べた限りではこんなのが出てきた。これは以前書いた『アントラム 史上最も呪われた映画』でも登場した例のやつ。

バフォメット

antrum

テンプル騎士団が異端審問の際に崇拝しているのではないかと疑惑を持たれた(キリスト教徒が想像する)異教の神。黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔。
バフォメットの起源は判明していないが、11世紀末から12世紀のラテン語書簡などに現れており、これが最古のものとなっている。

Wikipedia:バフォメット

管理人はキリスト教に詳しいわけではないので、自分の浅い知識からラストについて思わずこういう風に考えたけれど上にも書いた通り、このラストの捉え方は人それぞれ。それが本作製作者の望むところでもあるのだろうと思う。

A24

アイアンクロー
プロレス界の伝説“鉄の爪”フォン・エリック一家、衝撃の実話を映画化!
2024年4月5日公開。

A24とは

2012年8月20日に設立されたアメリカ合衆国のインディペンデント系エンターテインメント企業。映画やテレビ番組の製作、出資、配給を専門としている。
映画業界出身のダニエル・カッツ、デヴィッド・フェンケル、ジョン・ホッジスが映画配給を専門とするA24フィルムズを共同で立ち上げた。A24フィルムズの活動は2013年の終わりにリリースされた『スプリング・ブレイカーズ』により成長を始めた。同社はその後、『ルーム』、『エクス・マキナ』の米配給権および『ウィッチ』の世界配給権獲得で知名度を上げ、より大きく成長した。

Wikipedia

このブログのA24

lamb

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Contents