『ウィッチ』 (2015) - The Witch / The VVitch: A New-England Folktale

観るたびに感想が変わる面白い作品。初めて観たときは”何だ、これ…”という感想。2回目に観たときは”森の魔女”の存在を信じた。今回は心の奥底にそれぞれが隠している”欲するもの”が見えてきた。

■ ウィッチ
 - The Witch / The VVitch: A New-England Folktale – ■
2015年/アメリカ、カナダ/93分
監督:ロバート・エガース
脚本:ロバート・エガース
製作:ジェイ・ヴァン・ホイ他
製作総指揮:ロウレンソ・サンターナ他
撮影:ジェアリン・ブラシュケ
音楽:マーク・コーヴェン

出演:
アニャ・テイラー=ジョイ(トマシン)
ラルフ・アイネソン(父ウィリアム)
ケイト・ディッキー(母キャサリン)
ハーヴェイ・スクリムショウ(ケイレブ)
エリー・グレインジャー(マーシー)
ルーカス・ドーソン(ジョナス)

■解説:
「魔女」をテーマに、赤子をさらわれた家族が次第に狂気の淵へと転落していく姿を描き、第31回サンダンス映画祭で監督賞に輝いたファンタジーホラー。監督はホラー映画の古典的名作「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)のリメイク版監督に抜てきされ、本作が初メガホンとなるロバート・エガース。

■あらすじ:
1630年、ニューイングランド。ウィリアムとキャサリンの夫婦は、敬けんなキリスト教生活を送るために5人の子どもたちと森の近くにある荒地へとやって来た。しかし、赤ん坊のサムが何者かに連れ去られ、行方不明となってしまう。家族が悲しみに沈む中、父ウィリアムは、娘のトマシンが魔女ではないかとの疑いを抱き、疑心暗鬼となった家族は、狂気の淵へと転がり落ちていく -

映画.com

1630年、ニューイングランド。
ここはアメリカ合衆国の中でも初期の入植地で、国として最も古い地域の一つになる。そんな場所で、人は、仲間は、頼れる者は、小さな入植地の村の皆しかいないというのに、一家の長ウィリアムは信仰心の違いが許せず、入植地から追放される形で村を後にした。揃って敬虔なキリスト教徒である家族は黙って父に付き従ったが、一人、長女トマシンだけはこれからの不安を隠しきれず、厳しい現実を見据えることができていた。

森が広がるばかりの荒れ地に、乳飲み子を抱えた一家七人。雨風を凌ぐ家を建て、わずかばかりの畑と家畜で完全な自給自足の生活だが、今回は実りが悪く食べ物にも事欠く有様。

母親は乳飲み子を抱えてあまり働けず、双子の二人は騒々しく駆け回っているばかり。そんな中、長女トマシンと長男ケイレブは両親の言うことを聞いて家族のためによく働く。トマシンは不満を隠せない時もあり両親に小言を言われることがあったものの、ケイレブはとりわけ信心深く真面目で、母の信頼は篤かった。

そんなある日、トマシンが子守をしていたその時に赤ん坊のサムが何者かに連れ去られていなくなってしまう。場所は森の入り口のすぐ近く。いないいないばぁで遊んでやっていて、自分の目を掌で隠しているほんの一瞬。両親に何があったのか詰問されても何も答えられないトマシン。母親は嘆き悲しみ臥せってしまう。

だが、しかし、一家を襲う悲劇はこれだけで済まなかった。家族のためになんとか食料を調達しようと朝早くに森に入ったケイレブとトマシン。だが途中ではぐれ、ケイレブと銃、大事な馬が行方不明に。ここで両親にとって、トマシンの日頃の言動や双子への脅し文句で使っていた「私は魔女よ」が現実味を帯びてくる。その矢先、悪魔に呪われたかのような様子のケイレブが見つかる -


ここからはネタバレありきで進めます!

さて、この敬虔なキリスト教徒であるこの一家。
ぃゃ、いーんです。私にはキリスト教の何ぞやとかいうのはあまり分からないから。けれども家族の大切な物を勝手に売り払う(実際は物々交換)というのはどうなんだろう。もちろん目的は家族の食料のためなんだけれど盗むとはどういうことか。
だいたい子どもたちに「罪」とか「戒め」とか「苦難」とか教えつつ、それらの考え方が違うからって命の綱である入植地村から出てしまって家族を路頭に迷わせるとはね。これらは父親のことですね。

それと母親。トマシンに対してあまりに厳しすぎる。いくら反抗期だとしても、あれでは愛情が感じられないし余計に反抗するだろう。それに何かと大声でヒステリックになってしまって、私が考える敬虔なキリスト教信者とはかけ離れている気がする。合間に「罪を犯しました」ってお祈りすれば許されることなのだろうか。

それと双子ね。あまりに自由奔放で同じ両親に育てられているとは思えない。まだ幼いとしてももう少し姉兄のお手伝いをしてもいいのでは?

と、ここまで書いて、はたと思いついた。
七つの大罪
この一家とはま反対にかけ離れているはずの七つの大罪。それは

  1. 傲慢
  2. 強欲
  3. 嫉妬
  4. 憤怒
  5. 色欲
  6. 貪食|暴食
  7. 怠惰

映画『セブン』で、キリスト教信者で無い者にまでこの世に広く知らしめた「人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情」のこと。この七つをじっくり見てみてください。普通の人なら誰にでもちょっとは当てはまるように、このウィリアム一家もすっぽり(6の暴食は違うかも)当てはまっているように思うのだ。
1.傲慢は父親に、2.強欲、3.嫉妬、4.憤怒は母親に、5.色欲はケイレブ、7.怠惰は双子。どれも常識を逸脱するほどではないのだが、あまりに「信心、信心」って言うものだから、じゃあ、どうなの?と思ってしまった…。要するに彼らは普通の家族なのだ。

しかし当の本人たちはどう思っているのか。
罪深いことが分かった上でいつも頭をたれ祈り、信心深いと思っているから質が悪い。罪を心の奥底にギュッと「信心」でしまい込み、それがちょっとでも頭をもたげると、それはもたげさせた相手が悪いとばかりに、自分の言動の理由もわからないまま相手を罵倒する。挙句の果てに「魔女」と決めつけ怒鳴りつける。
そして最後には殺し合いにまで…

サムの行方不明に始まって一家には不可思議で不幸な出来事が次々と襲い掛かった。だがそれは、広い森、広い荒れ地で生活しているにもかかわらず、頼れる者は自分たち七人しかいない閉塞感が起こした妄想が原因なのではないだろうか。そしてその中に小さな罪がいくつも挟まる。嘘や罪が挟まるから信頼できなくなってくる -

サムはあの数秒の間にどうしていなくなったのか。狼はいないと言っていたがコヨーテならいるかもしれない。動物の足跡は残されていた。その後の魔女がサムを..の場面はトマシンの想像でしかない。
ケイレブに森で何があったのか?道に迷い彷徨っていたのは確かだ。まだ少年のケイレブは心細かったことだろう。そこに現れる綺麗なお姉さん。魔女でも何でもない、疲労困憊したケイレブの想像の世界だ。雨に打たれ、枝に服を引き裂かれ何とか家まで戻ったが、肺炎になって命を落とした。最期の祈りも信心深さゆえ。

ケイレブの最期の叫びに呼応するように叫びだした双子たち。これはセイラムの魔女裁判でもあったとされる集団パニック(個人または集団において突発的な不安や恐怖(ストレス)による混乱した心理状態、またそれに伴う錯乱した行動)。セイラムといえばこの地と同じニューイングランド地方にある。
父親に閉じ込められたトマシンと双子が見た、ヤギを貪る裸の魔女。これは寒さと恐怖がもたらした幻影であろう。その後、打ち付けた板を破り森へと逃げた双子の二人。命は長くもたないだろう。

そして父親の死。これは日頃ストレスを受けていた黒ヤギの暴走で起きた不幸な事故だった。これらを結末だけ見た母親は錯乱し、トマシンに襲い掛かった。トマシンはもはや反撃するしかなく、何度も何度も刺してしまう。

家族をすべて亡くしたトマシン。その彼女に黒ヤギが話しかける。僕になればなんでも与えてやるぞ。
神は何も答えてくれない。全て無くしたトマシンはすがるものを与えてくれる何者かの存在が必要だった。双子をいじめるためにふざけて「私が魔女だよ」と言っていた彼女は、その自分の言葉に自分ですがることになる。トマシンに罪がないとは言わない。だが、彼女までも家族に引きずられるように罪の森へと消えていく。

彼女の命もそう長くはないだろう

信心、信心という者ほど足元が見えていないというお話。それにしては結末が悲劇的すぎる。
副題の『The VVitch: A New-England Folktale』をよく見てみると面白くて、まず「Witch」ではなくて「VVitch」、Vが二つになっている。ここからも魔女はいなかったのではと思う。続く副題は「ニューイングランドの民話」とあり、作品最後には「この作品は当時の日記や記録、民話から着想を得た」と出ていた。「怖い大人向け絵本」ってところでしょうか。

本作はロバート・エガース監督の2015年長編デビュー作。次作は『TENET テネット』でも紹介した『ライトハウス』で、今年2021年7月に日本でも公開される。本作と同じような感じなのだとすれば、これはちょっと期待しちゃう。楽しみだー
ではまた

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