お気に入りのA24/アリ・アスター監督作品。言っても『ミッドサマー』な感じぐらいでしょ?と観始めたものの、とんでもないものが3時間もの長い間、休む間もなく目の前を通り過ぎて行った… 劇場内が明るくなった時、「いったい私はどうしたら…?」とまるでボーのようにただ立ちすくんでいたのは管理人momorexさんだった(-.-)
■ ボーはおそれている ■
– Beau Is Afraid –
2023年/アメリカ/179分
監督:アリ・アスター
脚本:アリ・アスター
製作:アリ・アスター他
撮影:パヴェウ・ポゴジェルスキ
音楽:ボビー・クーリック
出演:
- ホアキン・フェニックス(ボー)
- ネイサン・レイン(ロジャー)
- エイミー・ライアン(グレース)
- スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン(セラピスト)
- パティ・ルポーン(ママ)
- ゾーイ・リスター=ジョーンズ(若き日のママ)
- アルメン・ナハペシャン(少年時代のボー)
- カイリー・ロジャース(トニ)
- パーカー・ポージー(エレーヌ)
- ヘイリー・スクワイアーズ
- ドゥニ・メノーシェ
- マイケル・ガンドルフィーニ
- リチャード・カインド
■解説:
「ミッドサマー」「ヘレディタリー 継承」の鬼才アリ・アスター監督と「ジョーカー」「ナポレオン」の名優ホアキン・フェニックスがタッグを組み、怪死した母のもとへ帰省しようとした男が奇想天外な旅に巻き込まれていく姿を描いたスリラー。映画.com
初っ端の雰囲気が「おっ、まるでデヴィッド・リンチ」と感じたオープニング。
それはほとんど間違っていなかったのだが、実は大きく間違っていた。リンチよりもひどく、クローネンバーグよりもくどく、トリアーよりも長く、レフンよりも分かりにくい。
─ 要するに全くわからない
これが観終わった時の正直な第一声(心の)
座席を立ち、コートを着ながらそれでも私はふんばった。
ぃゃ、何かあるだろう、説明できる何かがきっと。あそこのアレは何だった?アレには何か意味があるはず…わからない“(-“”-)” じゃあ、あの人は?…なんで出てきたの(-.-) あの場所は?アレは?コレは?
そんなボーみたいな混乱の中、実はたった一つの手がかりを、まるで写真にでも撮ったみたいに覚えていた。私は覚えていた。もうこれしかないだろうという手がかりを。
まずはその前にあらすじやなんかをどうぞ
Contents
あらすじ
母の暮らす実家に帰省することになっていたボーは肝心な時に寝過ごしてしまい飛行機に間に合わなくなってしまった。謝罪の電話を愛する母にかけるも、あきれたように電話を切られてしまい慌てふためくボー。飛行機を予約し直そうとしたがカードは使えなくなっており、困り果てたボーは再度母に連絡する。が電話に出たのは見知らぬ男で、母と思われる女性は目の前で死んでいると言われてしまう ─
混乱と感想
いつもなら“見どころ”と書くのだが、そもそも本作は全編本当の意味でのミステリーで、見どころは179分全てと言える。本作の舞台の一つ、愛する母と離れてボーが暮らす都会の街はそれはそれは恐ろしい絵に描いたような混沌と犯罪の巣窟。小汚いアパートメントでは女の叫び声や男の怒鳴り声が24時間続いているし、前の通りには死体が転がっている。その死体を前にずっとサンバを踊っている半裸のゲイ。殴り合いの喧嘩はいつも誰かがしているし、銃をぶっ放す音は1時間に1度は聞こえてくる。
そんな世の中の騒音を全て一か所に集めたかのような街の通り。それがボーの住む場所だが、まずあまりにこの場所が彼にそぐわない。なぜ彼はこんな所に震えながら暮らしているのか。
- お金が無い?にしては仕事をしていないようだ。
- 部屋には最低限の物しかないし恰好はみすぼらしい… だけれどカードは持っているし、セラピーにもかかっている。
- カードが使えなくなったのは、帰省できずにいるボーに怒りを向けた母のせい?母が持たせている?
などなど、まず分からないのは「主人公ボーについて」。彼を説明できるものが最初は何も出てこない(最後まで観ても説明できないが)。それでもぼちぼち分かってくるのは、ボーは母を心の底から愛している(らしい)ということ。そしてボーに関わる女性(一部男性も)は会ってすぐにも関わらず“My Suite Heart”だの“My Baby”だのやたら彼のことをすぐに気に入り親切にしてくれて、慈しみ愛していることを言葉として表現する。これがまた句読点の代わりかっていうほどに言葉の中に入れてくるんだけど、その相手はボーだよ
。恐らく40がらみ。その辺がちぐはぐで観ている間ずっと頭の中に得体の知れないもやもやが発生する。ちなみにそのもやもやは最後まで晴れることはない。違和感で始まり違和感で終わるのだ。
母の待つ実家に帰りたいだけなのに、その恐ろしい街で車にはねられたことから始まるボーの旅。観ている時はいつものように「はねられた時に死んだオチ?」「実はとっくにこの街で殺されていた?」なんてことも考えていたけれど、それは今回は全く違う(と思う(-.-)。自信はない…)。
本作は彼の帰巣本能(意味:鳥や虫などが遠く離れた所からでも自分の巣に帰ることができる、生まれつきもっている能力)に様々な横やりや妨害を入れて、彼の生存能力を試した実験的な記録なのではと思ってしまう。
じゃあ何故彼を使って実験したのか
それが最初に書いた一つの“手がかり”である。
謎は解けるか?一つの手がかり
手がかりは彼の少年時代の写真や母の功績がずら~ッと飾られている実家の壁にあった。ほんの1秒ほど訳と共に映るので見逃さないでほしい。私はそれを見た時、「あっ、だから?」と一瞬考えた。けれどそのシーンからまだまだ続く混乱と混沌で頭はフル回転して疲れていくからラストまで忘れていた…
そして冒頭に書いた通りラストの転覆したボートの腹を見ながら「いったい私はどうしたら…?」となった時にすがる思いで思い出したのだ、この手がかりを。
本作はある障害を持つボーが毎日見ては感じ考える“頭の中”を単純に映像化した作品なのでは。あの3時間のほとんどはボーの(想像の)世界であって現実ではない。そこにあるのは人々にありのままの自分を愛して欲しいというボーの思いだけ。とりわけ一番欲しいのは両親の愛情であり、少年時代に出会った女の子との情事だ。彼が追い求めているのはこの2つのみであり、全ての妄想や想像や日々の行いはこのためだけにある。この2つを具現化するためだけに生きていると言ってもいい。
ではラストまでに彼はこの2つを手に入れたのか?1つは手に入れたかに思われたがすぐに恐ろしい結果となり、もう1つは自ら壊してしまった。ここにも本作の基本である「AはBでありDはC。けれどBはDでもあるが、CはAではない。」というような混沌思想の世界観だ。破壊思想と言ってもいい。ボーが恐れていたものの正体は実家の屋根裏部屋に隠されていた。それはそこにずっと存在していた。それは全ての生物の源泉であり生きる活力の元。
だがとっくに彼は知っていたのだ。怖がり屋のボーは自身の分身として強いボーを作り出し、少年時代にそれを目撃する。目撃させたと言ってもいい。本来の彼は実は強くてきつい男なのでは。その彼が母の首を絞めたのだ。
母はアレを父親だと説明したが、ボーにとってアレは彼の性欲の象徴であり、長い間手に入れられなかったものの象徴でもある。それは欲しているのと同時に恐怖の塊でもある。それさえ無ければもっと楽なのに。だから存在を認めたくない、が欲しいという混乱さがここにも表現されている。まるで思春期みたいだが。
けれどボーは40がらみ(‘ω’)
さいごに
ということでここらで感想は終わり。書けば書くほど混沌としていきそうだから(-.-)
久しぶりに手強い作品を観た気がする。でもね、アリ・アスター監督自身がこの作品について10年は何も語らないでおこうって仰っているほどだから無理もない気がするよ。
劇場公開は始まったばかり。3時間が長いと感じられないほどに見事な出来栄えの大揺れの豪華客船にあなたもぜひ乗船してみませんか?