再び味わうことができるのか?あの恐怖を( ;∀;)今度はIMAXで…?
ということで公開初日、リーガンの母親が登場する、あの『エクソシスト(1973)』の正統なる続編と呼び声の高い『エクソシスト 信じる者』を夕方遅くのIMAXに単独突撃してきました。さぁ、どうだったでしょうか?(またこれ(-.-)
■ エクソシスト 信じる者 ■
– The Exorcist: Believer –
2023年/アメリカ/111分
監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン
脚本:ピーター・サットラー他
原案:スコット・ティームズ他
製作:ジェイソン・ブラム他
製作総指揮:ダニー・マクブライド他
撮影:マイケル・シモンズ
出演:
- レスリー・オドム・Jr(ヴィクター・フィールディング)
- リディア・ジュエット(アンジェラ・フィールディング)
- オリヴィア・オニール(キャサリン)
- ジェニファー・ネトルズ(キャサリン母)
- ノーバート・レオ・バッツ(キャサリン父)
- ラファエル・スバージ(ドン・レヴァンス牧師)
- アン・ダウド(アン)
- エレン・バースティン(クリス・マクニール)
■解説:
1973年製作の名作ホラー映画「エクソシスト」の正統続編で、同作より50年後の現在を舞台に、悪魔に憑依された2人の少女が呼び覚ます恐怖を描いたホラー。映画.com
Contents
おことわり
まずは一言、最初に述べておかなくてはなりません。
はっきり言って、がっかりでした… あまり期待せずにはいたのですが、ぃゃ、でも、1作目リーガンが取り憑かれてから50年後の物語で、正統なる続編と言われている上にリーガン母も登場する。
─ けれど悪い意味でほぼ予想を裏切りませんでした…
ということでこの感想にはネタバレがはさまっているかもしれません。怒りまくっているというほどではないにしても、がっかり感がある時はお喋りになってしまう傾向があるので。
未見の方はご注意を
あらすじ
旅先で妻を亡くしたヴィクターは、忘れ形見の13歳になる娘アンジェラと父子仲良く暮らしていた。
そんなある日の学校帰りに友人のキャサリンと森に入ったまま行方不明になったアンジェラ。3日後、2人は見つかったものの森をさまよった以外の記憶はなく、足はひどく傷ついていた。それでも無事に見つかりホッとしていた2人の家族。だが2人の挙動は徐々におかしくなり、狂気めいた暴言をはき始め、呼応するかのように暴れ叫ぶようになるのだった ─
見どころと感想
オープニング
初っ端。
1作目を彷彿とさせる怒り狂った黒犬が、それも2匹登場する。彼らは闘犬であるのだが、この素敵なオープニングで映画館の座席で思わずのけぞり(いきなりでビックリしたの(‘ω’))、なかなかのエクソシストらしい良い出だしに良い気分になったのだった。
だって黒犬と言えば、もちろん1作目もそうだったし、あのオカルト映画の金字塔『オーメン』でもそうだったように、不吉の前兆なんですよ。メリン神父(1作目エクソシスト)がそれを感じたのはイラクの遺跡発掘現場。そして今回、誰も知らないところで密かに密かに黒い影が蠢き始めた場所はブードゥー教が信仰されているハイチ。アンジェラのママが祈祷師に祝福されている様子が映し出されるけれど、ブードゥー教を知らないからなのか、そのお祈りは“祝福”というよりも、とてもこちらを不安にさせる喧騒じみた何かがある。それはそのまま、大地を揺るがし鳴動させ、人々を死に追いやる場面へと繋がっていく。
ここで、まだ私は「ほら。やっぱりエクソシストやオーメンはこうじゃなくちゃね」って思ってた。
『オーメン』(1976) -The Omen- その前兆を見逃すな
『エクソシスト』『エイリアン』ときて決して外せないのが本作『オーメン』。1970年代を代表する正統派オカルトホラーであり、今なお色褪せない金字塔悪魔的ホラー映画…
13年後
「13」という数字を持ってくるところにもまさしくオカルト精神が宿っている(今、ふっとデジタル時計を見たら「4:44」だった…)。父親ヴィクターの仕事が“写真家”というのも何かいいよね。カメラが発明された時代は、写真に撮られると魂を盗まれると庶民はカメラを怖がったそうだが、反対にその時代には亡くなった愛する家族を撮影する“遺体写真家”という職業もあった。
けれど本作ではヴィクターの写真にはあまり重きを置いていない。何かもったいない気がする。
『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス 』(2020)
「未体験ゾーンの映画たち2022」上映作品である本作。その好物なタイトルとあらすじから視聴をとっても楽しみにしていた管理人momorex。・・・またやってしまいました(-…
で、13歳になった愛娘アンジェラ(イタリア語で“天使”の意味)。ヴィクターと娘はとても仲の良い関係だが、自分が生まれる時に死んだ母親に対して何も思わないわけがない。写真でしか見たことが無い母に一度でもいいから会ってみたい、話してみたい、触れ合ってみたい ─
この純粋な心が彼女を今回の騒動に自ら巻き込むことになる。ちなみにアンジェラと一緒に森に入った少女の名はキャサリン。ギリシア語で“純粋”という意味だ。この2人が森の中でとんでもないものを呼び出すことになった。
だが本当に彼女たちの稚拙な呪文はアレを呼び出したのだろうか?
13年前のあの時。あの悪魔はいずれ取り憑いてやろうと、地震を起こし母を死なせ、この少女を生かしたのではないのか?そして馴染みのあるアメリカの地で、もう一人の母親クリスをいたぶってやろうとしたのでは?同時に腹の立つエクソシストなる者に復讐しようとしていたのでは?けれどどれも、この悪魔パズズにとっては単なる時間潰しでしかないのだ。ただの遊びだ。
何が起きようと彼は未来永劫生き永らえていくのだから。
─ 人と違って
今回のエクソシスト
とうとういたいけな2人の少女が取り憑かれる。
ここまで本作はとても『エクソシスト』らしく進行している。唸る黒犬、何か不安にさせる喧騒、クラシックな街並み、古びた家、複雑な家族関係、2人の少女。時々はさまる悪魔の表情。悪魔に取り憑かれていく様子もリーガンを思い出させる。
─ けれど2人必要だっただろうか?と思う。
2人同時に憑依できるパズズの力はよく分かったが、1人であることの孤独感、特別感。それは本人だけでなく家族にとっても同じで、他に分かり合える人がいない孤独感が彼ら悪魔の被害者をさらに、徹底的に追い詰める。2人だと、そういった意味では仲間がいて知恵も2倍になる。
そして今回は被害者家族の知恵が2倍になるだけではない。
もうこの頃には今の時代に即したようにいくつかの人種(と言ってもアジア人は出てない)、数種の宗教が入り乱れて2人の少女を助けようと力を合わせている。だが、まだ私の好きなメリン神父、カラス神父はいない。こう言うと2023年では差別とか不公平とかになるのかもしれないけれど、ヴァチカンが、カトリック教会が正式に任命した
エクソシストがいないのだ
その理由は今回のエクソシズムに教会の許可が下りなかったから ─
教会は2人の少女を病院に連れてけ、と言う。憑依された顔付、呪われた声音、身体に彫られたかのように入る「HELP ME」の文字。本人しか知らないことをいつものようにべらべら喋り人を苦しめてくる、これはどう見たって悪魔憑きでしかない。だがこのあたりにも50年前とは違う現代の制約が、法に則った方法でないリスクの伴うことを無暗に行うことはできない。そのリスクは少女のみならず、エクソシスト側にも大きくのしかかる。
でも本作は『エクソシスト』。
今回、この意味を「少女が助かることを信じる者」と捉えた。彼女たちが家族の元に戻ることを信じて疑わない、そのためには信じる神のもとリスクにも立ち向かう精神を持つ者たち。本作『エクソシスト 信じる者』ではここが肝となる。
リーガンの母・クリス
50年前にたった一人の娘を失いかけた母親クリス。彼女はあの後、神と悪魔、悪魔の憑依とエクソシズム・希望に傾倒し、本を出版して講演するまでになった、という設定になって戻ってきた。
実は、私はがっかりした”(-“”-)”
1作目の感想にも書いたのだが、可愛い自分の娘の声が変わり、表情が変わり、口に出すのもおぞましい言葉をしゃべり、首が一回転する(ただしこれを目撃したのは2人の神父のみ)。今までたいして信じていなかったキリスト教の神父に娘を託したのも神を信じるようになったわけではない。母親にとってはあくまでも娘を助けたい一心で、その手段の一つがエクソシズムだっただけだ。
もちろん我が腕に戻ってきた娘を見て神父には感謝しただろう。けれどラストですべてが起きたおぞましい場所から逃げ出すように車で旅立った母親の後ろ姿には神への感謝は感じられなかった。ただただ逃げ出したように思えた。
だが、それが良かったのだ。
人間のエゴを弱点として徹底的についてくる悪魔の存在が、そこにこそ現れるからだ。彼女の後ろ姿には決して悪魔は滅びなどしないと見て取れるものがある。
本作で、この母親クリスが再度登場するというのも大きな話題となったが、彼女のその後にがっかりしたうえ、50年後の存在意義があまり見い出せず、何かもったいない気がした。悪魔からは2人して逃げ出したが、母子の関係はこじれてしまったというのには同情したが、たとえ悪魔の存在がなかったとしても、親子を含む人間関係の難しさを訴えているところは1作目(カラス神父と母親もそうだった)と同じではあった。
アンジェラの父・ヴィクター
妻をこよなく愛していたがために取った選択が、その後、悪魔のつけ入る隙を与える原因となる点からも、やはりハイチでの出来事は悪魔パズズが仕組んだことだと考えざるをえない(‘Д’)。ハイチ以降、神を信じる心を捨てたこともパズズにとっては都合のいい父親だったのだ。
けれど今回、娘のために誠心誠意行動したヴィクターは悪魔にとって意外だったに違いない。こんなことからも本作では娘を取り戻したいヴィクターを中心に物語は進んでいく。それゆえ、彼がアップでよく映るのだが、、
なんというか、きっと男前の彼だからだろうけど、彼が映るたび話に集中できない(-.-)。『エクソシスト』の登場人物は現実味のある見た目であったはず(要するに飛び切りの美男美女ではない)なのに、なぜか彼だけ浮いている感じがして何か違う作品を観ているような気になるのだ。本作の感想が最終がっかりな原因はそんなところにもあるのかもしれない。
さいごに
本作の公開が発表された時、確かにタイトルの「Believer(信じる者)」にどこからともなく嫌な予感を感じていた。メリン神父やカラス神父を死に追いやったあの悪魔(今回もパズズ)がまたもや登場するというのに「信じる者」?そんな美談的な言葉には出る幕はないだろうと思い、もしかして何か感動的な体験を用意しているのか?『エクソシスト』に?
─ ありました
けれど、ラストの一点についてはほんとに感動した(‘ω’)。『エクソシスト』『エクソシスト2』の集大成でもあり、これで良かったとも思えた。なんだかんだ、クリスとリーガンは苦労したからね…
ということで、やはり私のエクソシストは1作目1973年『エクソシスト』と公開当時正当なる続編と謳われた1990年『エクソシスト3』。本作『エクソシスト 信じる者』は私の中では番外編みたいな位置づけとなりました。番外編といえども映画館の大きなスクリーンでパズズを観ることが出来て感激です。