語り継がれるべき魂『ボーイズ・ドント・クライ』(1999)

「語り継がれるべき魂」第2弾。でもこちらは前回の『ブルース・ブラザース』とは全く違っていて、一度観た後はしばらく鑑賞することが出来なくなる作品だ。理由は、あまりに胸が痛すぎて。今回も前回視聴から10年以上経っていると思う。けれど観ずにはいられない。ブランドンの鎮魂のために

■ ボーイズ・ドント・クライ  – Boys Don’t Cry – ■

Boys-Dont-Cry

1999年/アメリカ/118分
監督:キンバリー・ピアース
脚本:アンディ・ビーネン、キンバリー・ピアース
製作:ジェフリー・シャープ他
製作総指揮:パメラ・コフラー他
撮影:ジム・デノールト
音楽:ネイサン・ラーソン

出演:
ヒラリー・スワンク(ブランドン・ティーナ)
クロエ・セヴィニー(ラナ)
ピーター・サースガード(ジョン)
ブレンダン・セクストン3世(トム)
アリシア・ゴランソン(キャンディス)
ジーネッタ・アーネット(ラナの母)
マット・マクグラス(ロニー)
アリソン・フォランド(ケイト)
ロブ・キャンベル(ブライアン)

■解説:
ブランドン・ティーナとして知られる、ネブラスカ州で殺害された実在の人物の人生を描く。主演のヒラリー・スワンクがアカデミー主演女優賞、ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) を受賞。

Wikipedia


今まで観た映画やドラマの中にはとてもお気に入りの作品やシーンがあって、何度も観返すものがいくつもある。例えばテレビやスピーカーを買い替えた時に観る定番作品は『プライベート・ライアン』や『グラディエーター』。ご機嫌な気分になりたい時は前回書いた『ブルース・ブラザース』。頭空っぽにしたい時には『ザ・レイド』『パシフィック・リム』などなど。

でも中にはお気に入りでありながら、一度観るとしばらく沼にはまりこんで抜けられなくなる作品や、胸をえぐるような衝撃と痛さにしばらく思い出すことさえ辛くなるような作品もある。今回の『ボーイズ・ドント・クライ』はまさしくそれ。10年に一度くらいしか観ることができない(-.-)… それでも今回なぜ観ることにしたかの理由はさておき、ここで書いておかないと次いつになるかわからないので、感じたことを記しておくことにした。感じることはいつも同じだが ─

Contents

あらすじ

性同一性障害を持つティーナ・ブランドンはネブラスカ州リンカーンで暮らす女性だが、ブランドンという呼名で男性として日々を送っている。軽犯罪を犯し、いつもかばってくれている従兄弟の家を飛び出したブランドンは、フォールズタウンという小さな田舎町にたどり着き、バーでジョンというチンピラに出会う。
綺麗な顔を持ち、どこか秘密めいた雰囲気が漂うブランドンはジョンの幼馴染ラナと恋仲になる。だが、ある事件がきっかけでブランドンの正体がジョンに知られることに ─

ブランドン・ティーナ

何をし、何を好きになり、何を成し遂げたいか。
民主的な国に暮らす人には法に基づきこれらを選ぶ自由がある。だが本当にそうだろうか?じゃあ、何故21世になって20年も経とうかという今(2022年)なお、「ヘイトクライム」と呼ばれる犯罪が起きるのだろうか。
それは、自由に生きる人々に対して好き嫌いの感情を持つことさえも人間の“自由意志”だからだろうか?

ヘイトクライム(憎悪犯罪)とは

人種、民族、宗教、性的指向などに係る、特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる、嫌がらせ、脅迫、暴行等の犯罪行為を指す。アメリカ連邦公法によれば「人種・宗教・性的指向・民族への偏見が、動機として明白な犯罪 」と定義されている。

Wikipedia

幼い時から「他人を理解せよ。他人を認めよ。」と人は教わる。それでも沸き起こる一部の人への不快感。けれどもそれを笑顔の後ろに隠し、日々を、社会の中を生きていくのが大人の技だ。そうやってうまくやり過ごすことが波風を立てずに生きていく方法の一つであり、自分を守ることにもなる。それでも人とぶつかることはある。だがそれが、相手を理解し上手くやっていくためであるならば、そう問題ではない。

しかし、ブランドンは出会ってしまった。
小さな町で小さな社会で生きることしかできない、その小さなものを守ることしかできない男たち。その社会を壊すような、理解できないものを持つ者には攻撃あるのみの人々に。

Boys-Dont-Cry

本作を観て胸が痛むのは、ブランドンのあまりの正直さ、一生懸命さ、普通の青年の生き方に対するまっすぐな真摯さがあるから。自分の障害を隠したり、悲しんだり、ましてや蔑んだりはしていないところ(とはいえ、人に簡単には打ち明けられない)。
と同時に、ブランドンと関わることになるフォールズタウンという町に住む人々のあまりの正直さだ。

上に書いた“自分を守るために笑顔の後ろに本心を隠す”なんてことはしない。好きなものは好き、嫌なものは嫌。それはある意味ブランドンと同じ生き方なのだ。性同一性障害を持つ彼は「女性」として生きることは出来なかった。そういう自分のために選んだ生き方、自由意志で選んだ行動が、それを理解できないどころか憎むあまりに否定し、暴力に訴えてしまう人々に出会ってしまった。

これは小さな田舎町だから起きたことなのか?ごく一部のとんでもない不幸な出来事が合わさって起きただけなのか?

自分はどうだ?自分が苦手なもの嫌いなものを好きな他人に対して嫌悪感を抱いているだろう?その場で顔に出さないだけで、心の中では“げぇ~”って毒づいているだろう?何が違う?ジョンやトムと。

本作はブランドンに起きた悲劇が胸をえぐるとともに、日頃、自分の心の奥底に隠している何かに対峙しなくてはならなくなるから、きっと苦手なんだ。それはここ数年声高になってきている運動があるからではない。もっと以前から人は気が付いている。どうしようもない自分の“自由意志”に。


生きるということ

人には自由に生きる権利がある。
けれど決して忘れてはならないのが、それには“責任が伴う”ということだ。そして人が自由に生きることに対して、それを止める権利は他人にはない。自分の感性を、自分の嫌悪感を法を犯してまで主張してはならない。法を守るという事は、自分の周囲の人を守るという事。そしてその法は人々と共に育ち、変わっていくべきものでもあるのだ。

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キンバリー・ピアース監督作品

Boys-Dont-Cry

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