公開当時、原作を読んでからDVDで観た記憶が。米映画史上、数あるサイコキラー作品の中でも(私の中で)一二を争う気持ち悪い連続殺人鬼がこのパトリック・ベイトマン。このおかげでしばらくクリスチャン・ベールが苦手だったし…(-“-)
■ アメリカン・サイコ - American Psycho – ■
2000年/アメリカ/102分
監督:メアリー・ハロン
脚本:メアリー・ハロン他
原作:ブレット・イーストン・エリス
「American Psycho」
製作:エドワード・R・プレスマン他
撮影:アンジェイ・セクラ
音楽:ジョン・ケイル
出演:
クリスチャン・ベール(パトリック・ベイトマン)
ウィレム・デフォー(探偵)
ジャレッド・レト(ポール・アレン)
リース・ウィザースプーン(婚約者)
クロエ・セヴィニー(秘書)
ジョシュ・ルーカス(同僚)
サマンサ・マシス(愛人)
マット・ロス (同僚)
ビル・セイジ (同僚)
カーラ・シーモア(娼婦)
グィネヴィア・ターナー (愛人)
■解説:
ブレット・イーストン・エリスの衝撃の問題小説『アメリカン・サイコ』を完全映画化したスリラー。小説はそのあまりのショッキングな内容から一度は発売中止に追い込まれ、91年に出版されたものの、フェミニスト団体による非買運動が勃発し、表現の自由と検閲の問題に発展するとともに大ベストセラーとなった。
■あらすじ:
1980年代のニューヨーク、20代にして、富も、地位もすべて手に入れた男、パトリック・ベイトマン。世界を手にした彼がたどりついたのは、底なしの虚無感と深い闇の世界。永遠に満たされない心を埋めるために、彼は若く、美しい女性を次々に殺していく ─amazon
世界的な好景気に沸く80年代後半、ニューヨーク。父親が社長を務めるウォール街の投資会社で副社長に就いている27歳のパトリック・ベイトマン。裕福な家に育ち、名門大学を出、父親の一流企業に肩書付きで入る。彼の同僚たちも同じ高学歴、高収入の仲間で、彼らの興味は、自身の健康、美容、運動に気を使い、ブランド物に身を包み、高級レストランを予約できるほどの名声を得、誰よりも格好いい仕上がりの名刺を持ち、ドラッグと女で遊びつつも、名門令嬢と婚約、結婚する。大勢の仲間と表向きは親しげに信頼関係を結びながらも、いかにしてお互いを出し抜くか、それだけである。
中でもパトリックは誰よりも抜きんでていたはずなのに、最近、何かと目に付く同じ副社長の肩書を持つポール・アレン。自分よりもいいアパートメントに住み、簡単には予約が取れない高級レストランに席を取る。負けているのだ。今、まさに負けているのだ、彼に。パトリックのイラつきは収まらない。
そして前々から自分の中に押さえ込んできた、沸々とたぎる何かの衝動。パトリック・ベイトマンという錯覚のような器の中に住む、本当の自分。それがとうとう現れる。
現れた時、パトリックは驚きはしなかった。というのも、この日までに十分すぎるほどの準備をしてきたからだ。パトリック・ベイトマンという器の中のその衝動を大事に育てていたのだ。いや、育てていたのではない、自ら変化し育っていたのだ。いつでも表に出られるように。
腹の立つポール・アレンへふるう斧を小躍りしながら準備して、背後から斧を振り下ろした時、全身を駆け巡る快感が彼を襲う。だから何度も何度も振り下ろす。殺す快感と、今後アレンが存在しなくなる喜び。まさにこれは「白雪姫」の継母と同じ感覚なのだ。またこれから一番である幸せを噛み締められる。だから小躍りをやめられないのだ。
だが、パトリックはこれで終わらなかった。殺人への巨大な欲求が止まらなくなったのだ。事前に犯行計画を練って(秩序型)獲物を見つけ、獲物を自由にコントロールした上で、最後に命を奪う。この全てを自分が一人で把握し、相手の命さえも自分の手の中にあるという、それが彼に至福の喜びをもたらす。まさしく快楽殺人を何度も繰り返す連続殺人鬼(シリアルキラー)であった。
Contents
連続殺人鬼(シリアルキラー)
シリアルキラー(英:Serial killer serial=連続の、順列の)とは殺害行為を主目的に行う、単独の連続殺人犯(連続殺人事件の犯人)に対して使われる言葉である。シリアルキラーという単語は、アメリカの連続殺人犯テッド・バンディを表現するために考え出されたものである。元FBI捜査官のロバート・K・レスラーが1984年9月に提唱した。
Wikipedia
実際、パトリックは同僚との会話の中で1970年代の連続殺人鬼テッド・バンディの事を話しているが、少し眉をひそめたくらいで誰一人として興味を示さなかった。パトリックはその頃には何人も殺している。そして話の合わない同僚や、婚約者さえも捨てて、自分一人の悦楽に興じるのである。だが、だんだんとパトリックの表情が喜びだけから苦しみを伴うものに変化していく。それでも止められない殺人の衝動。
そしてある時、警察官を殺してしまうことになり、もう捕まるかと観念したパトリックは、実在の殺人鬼もそうであることが多いように、べらべらと話してしまうのだ、事の全てを。パトリックの相手は弁護士であったが、本気にしなかった。いや、表情を見ていると「これは事実なのでは?」と感じたはずだ。だが相手にしなかった。巻き込まれたくないのが見え見えだった。パトリックは驚いたが、驚きはこれだけでは済まなかった。
ラストの意味(ネタバレてます)
パトリックはマスクを付けて、ポールのアパートメントに向かった。ポールの遺体はバラバラにして捨てたが、この家で殺した他の被害者の遺体はそのままにしていたから、警察が気が付く前に処理しようと思ったのだったが、なんと家は綺麗にリフォームされたうえ、買い手の客を案内している不動産業者までもがその場にいた。
どこにも遺体など無く、真っ白にリフォームされた殺人現場。
混乱したパトリックは不動産業者に「ここにポール・アレンが住んでいたはずだが?」と詰め寄る。もちろん心の叫びは「ポール・アレンの部屋で殺した遺体があるはずだが?」だ。何度も叫ぶパトリックに、次第に事の状況を察した不動産業者の女性はこう言うのだ。
「もう二度とここに来ないで」
ポール・アレンの両親は探偵を雇って、突然消えた息子の行方を捜していた。当然、最初にポールのアパートに行ったであろう。そしてとっくにたくさんの遺体を見つけていたはずだ。だが彼らにとって大事なのはポール本人のみ。ポールの行方と無事だけである。普通に考えて、ポールの部屋の遺体はポールが殺した結果だと思ったはず。殺した後に行方をくらましたと考えたはずだ。
それから探偵がパトリックに会いに行く。パトリックがポールを殺したとして会いに行ったのではない。パトリックがポールの殺人をどこまで知っているかを探りに来ていたのだ。そして何も知らないと判断した。
ポールの部屋の遺体は、すぐに内密に処理されたと思われる。アレン家にはそれだけの力がある。そしてすぐに売りに出されたのだ。ポールは今もって見つからないが、これでアレン家とポールに傷がつくことはない。
パトリックはそれらの全てを理解した。白状したのに無視した弁護士と、全てを綺麗にして無かったことにしたアレン家。全ては闇に葬られたのだ。自分の知らないところで。
パトリックは最後につぶやく。
どんなことが起きようと浄化などない。自分への洞察を深めることもない。告白は意味を持たなかった。
普通の殺人鬼はこの辺りで捕まることも多いが、パトリックは望むと望まざるに関わらず、それをすり抜けた。彼はこれからも殺人を犯すだろう。アメリカの経済の一端を握っているような輩が、それを許したのだ。我が子を殺されながら
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