『小さな悪の華』(1970) - Mais ne nous délivrez pas du mal –

Mais ne nous délivrez pas du mal_01s
少し前に記事にした『乙女の祈り』と同じ素材で作られたと知って借りてみた本作『小さな悪の華』。少し幼くなってフランス製だからどんなのかなー、と楽しみにしていたけれど、、これは、、とてもじゃないけど「わかる、わかるわー」とは言えない衝撃的な内容だった.. こういう系の作品には免疫があるつもりだったけれども、これはちょっと理解の範疇を超えていた・・・どん引きです・・・

小さな悪の華 - Mais ne nous délivrez pas du mal –

1970年/フランス/103分
監督:ジョエル・セリア
脚本:ジョエル・セリア
製作:ベルナール・ルガルジャン
製作総指揮:ケン・ルガルジャン
撮影:マルセル・コンブ
音楽:ドミニク・ネイ 他
出演:
ジャンヌ・グーピル(アンヌ)
カトリーヌ・ワグナー(ロール)
ベルナール・デラン(車の男)
ミシェル・ロバン(レオン)
ジェラール・ダリュー(エミール)
マルク・デュディコール
ヴェロニク・シルヴェール

解説:
性と死と悪魔に魅せられた幼い少女が行う、残酷な悪戯をエロティックに描いたサスペンス・スリラー。寄宿学校に通う少女アンヌとロールはバカンスを利用し、牧童を誘惑したり、庭番の小鳥を殺害したり、悪魔崇拝儀式を取り行うなど、思うがままに残酷な行為を繰り返していた。少女の持つ悪魔的な魅力を全面に押し出した異色作。 (allcinema)

あらすじ:
寄宿学校に通う15歳の少女アンヌとロール。裕福な家の2人は親の目の届かないことをいいことに、大人を相手に、人の道からはずれる残酷な行為を繰り返し、毎日を楽しんでいた。しかし夏休みのある日、その遊びが行き過ぎて一人の男性の命を奪ってしまう。発覚することを恐れた2人は遺体を池に沈めるが-

英題:DON’T DELIVER US FROM EVIL


【思いっきりネタバレてます】
自分たちの仲を邪魔立てする母親を共謀して殺した女子高校生の事件を映画化したピーター・ジャクソン監督『乙女の祈り』。他にも同様に映画化されたものがあると知って見つけたのがこれ『小さな悪の華』。ストーリーの骨子は大体同じだろう、と(またまた)勝手に思っていたが、、あまりにも違っていた。同じ点は「異常に結びついた仲のいい女子2人」というところだけで、こちらは完全にフィクション(だと思いたい)で、ほとんど残酷少女のホラーです。『乙女の祈り』より幼いだけに、その残酷さがより際だっていて、正直、さぁーーっと引くこと間違いなし。

クリスチャンの家に育ちながらサタンを信仰し(あくまでも遊びで)、儀式を行うために教会から必要と思われる物を盗んでくるのはまだ分かる(自分も子供の頃、なんだか忘れたけど「儀式」というものをやったような気がする)。しかし、夏休みに入って暇だからといって、真面目に仕事をしている牧童にパンツをずりおろして誘惑するとはこれいかに。 

かなり酷いがそれだけならまだしも、1人が誘惑している間にもう1人が牛を逃がしてしまうというイタズラ付き。もちろん誘惑するだけ誘惑して笑いながら逃げ出すという残酷さ。その後、集められた牧草に火までつけている。

まだある。
少女の1人アンヌの家で雇っている庭師にイライラするからと、庭師が大事に飼っている小鳥を無残にも毒殺。それも1度に全部を殺したら苦しむのが1回だけだからと言って、1羽ずつ殺していこうとするなんて。完全に自分たちの行動がどのような結果を引き起こすかを分かった上で行う残酷な行為。「子供は残酷なもの」なんかとは全く違う酷さ。

そして
ガス欠で困っている男性を助けるかの言いようで家に連れ込み(←文字通り連れ込んでいる)、酒を出した上で下着姿になって男性の前を行ったり来たり。卑猥な話まで持ち出して、男性がその気になったところで泣き叫び、そして、、事件は起こる。

ロールにのしかかる男性の後頭部を棍棒で滅多打ちにしてしまったアンヌ。2人は男性の遺体を敷地内の池に沈める。ここから2人は、ある意味子供らしく、やったこととその結果に怯え始める。刑事の質問にはうまく答えた2人だったが、いつバレるかと情緒不安定に。怯えているとはいえ、それは男性を殺したことでは無く、警察に捕まるのが、自由を奪われることがイヤという、自己中心的なもの。世界は2人を中心に回っていたのに、この男性の「遺体」によって現実に引き戻され、自分たちが中心では無いことに気付く。気付くが我慢ならない。そして2人がとった行動とは、誰も捕まえることが出来ない場所=「死の世界」に行くことだった。

DVD特典にアンヌ役ジャンヌ・グーピルのインタビューが納められていた。それによるとアンヌはほとんど自分と同じ感性の持ち主で、「憎たらしいからいじめる、いじめたいからその人の大事な物を壊す、力尽くでのしかかられてイヤだから殺す」。ただそれだけのことで、当たり前でしょう?と話していた。
・・・理解できなかった。充分大人になった人が言っていたから余計に分からなくなった。

また他にもなんとかいう芸術家の人のインタビューで「生きる喜びを知らないから、死が魅力的に見える」と話していたが、これはこの2人に当てはまるのだろうか?まだ子供だから、ホントの自由は手にしていない。それを「生きる喜びを知らない」と言うのは違う感じがする。制約はあっただろうけど、2人は普通の者から見れば、充分好き勝手に「人」で遊んでいたと思うけど。これでも2人には足りなかったのだろうか?ちょっとは我慢することを覚え給え、と言いたい。もう15歳なんだし。
最後の「死の世界」への旅立ちでさえ、刑事まで呼んでのパフォーマンスに昇華させて、どこまで自己主張が激しいんだと感じたよ。

娘をおいて長いバカンスに出かける両親。こんな親に反抗しつつ寂しさをイタズラで紛らわしていた、みたいな話だったらよかったけれど、これだけではどうあっても説明出来ない。経験の少ない私めには、とても難しい作品でした。
ではまた

興味を持たれたら一度鑑賞されてぜひ感想を教えてください。オナガイシマス

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