この作品で本格的にブラッド・ピットのファンになったという(私だけだろネ..)革命的で印象的な狂気のカップル・バイオレンス映画『カリフォルニア』。改めてブラピの小汚さ、モルダーの若さにも驚いたが、ジュリエット・ルイスのどう形容していいか分からない不思議ちゃん加減が素晴らしい。この映画の彼女が一番好きかも
■ カリフォルニア - Kalifornia – ■
1993年/アメリカ/118分
監督:ドミニク・セナ
脚本:ティム・メトカーフ
製作:スティーヴ・ゴリン 他
製作総指揮:ジム・カウフ 他
撮影:ボジャン・バゼリ
音楽:カーター・バーウェル
1993年/アメリカ/118分
監督:ドミニク・セナ
脚本:ティム・メトカーフ
製作:スティーヴ・ゴリン 他
製作総指揮:ジム・カウフ 他
撮影:ボジャン・バゼリ
音楽:カーター・バーウェル
出演:
ブラッド・ピット(アーリー)
ジュリエット・ルイス(アデール)
デヴィッド・ドゥカヴニー(ブライアン)
ミシェル・フォーブス(キャリー)
デヴィッド・ローズ(エリック)
ジョン・ダラガン
■解説:
連統殺人を研究している若者が恋人と憧れの地″カリフォルニア″に向かう途中で本物の殺人犯を便乗させてしまう地獄のロード・ムービー。原題の頭文字のK はKiller(殺人者)にかけている。製作会社は、それまで主にミュージック・ビデオやCM界で活躍していたスティーヴ・ゴリン、シガージョン・サイ ヴァットソンらプロデユーサーと監督のドミニク・セナらが共同でハリウッドを本拠地に設立したプロパガンダ・フィルムズで、これまでに「もういちど殺し て」「ワイルド・アット・ハート」などを製作している。(Movie Walker)
■あらすじ:
連続殺人鬼を研究する作家ブライアンは新たな本の執筆のため、写真家の恋人キャリーと一緒に移住先のカリフォルニアを目指しながら有名な殺人事件現場を取材することに。同時に移動費用を節約する目的で車の同乗者を募集する。これに唯一応募してきたのがアーリーとアデールの若いカップルであったが、アーリーには恐るべき秘密があった ―
『リバー・ランズ・スルー・イット(1992)』で完全にやられて、恐らく自分の性格からその当時、彼の出演作を次々にあさって観たものと考えられる。そんな中で見つけ、“こういう役が出来る者こそホンモノだ!”とか何とか感銘を受け、さらにブラピのファンになったあの頃・・・。
何が彼に起こったのか、、、
人は生まれた時は公平に同じはず。けれども次の瞬間に見上げる母親によって、母親の所属する社会によって赤子の環境はどんどん変わっていく。そして成長につれて起きていく、ある種の決定的な環境や体験が人を狂気の「連続殺人鬼」に変える、と考えていた作家ブライアン。
この作品はブライアンがより詳細な連続殺人鬼についての本を執筆するために、恋人キャリーと殺人事件が起きた場所を取材しつつカリフォルニアを目指すロード・ムービー。写真家である彼女と2人で旅を楽しめば問題無かったのだが、旅行費用を少しでも浮かそうと同乗者を募ったのが間違いの始まり。唯一応募してきて一緒に旅をすることになったのがアーリーとアデールの若いカップルだった。
待ち合わせ場所で始めて彼らを見たキャリーは、「ぅわ、やめよ!」と思わず口をついて出る。彼らはどうみても学や常識の無い下層の白人で、物書きやカメラを弄る自分たちとは合わないと判断したのだ。キャリーはひどい差別主義者のようにも思えるが、危険な何かが彼女に訴えかけた。だがブライアンは気にしない。「同じ人間じゃないか。そんな事言ってやるなよ」と。
ブライアンは“連続殺人鬼”を研究するうち、彼らのような親に虐待されるような最悪の環境で育った人間を自分は理解している、と勘違いしていたのかもしれない。
ブライアンとキャリーのどちらが正しいのかは、私には分からない。
ともあれ、4人は連続殺人の事件現場に立ち寄りながらカリフォルニアを目指して西へと車を走らせる。車に乗せたアーリーこそが殺人鬼であることも知らずに。 不作法でへりくだったようにニヤニヤ笑っているかと思えば、一瞬でキレて暴力を振るうアーリーは、生まれながらのサイコパスに見える。アーリーの本性を知った時、殺人鬼研究家ブライアンは非常に滑稽な質問を彼に投げかける。
どうして人を殺すんだい?
人を殺すと快感を感じるのか?
有名になりたいからなのか?
何に怒っているんだ? 母親?父親?社会に対して?
ここまでにアーリーは何人も殺している。だからこれらのマニュアルに載っているような問いかけはこの本物の殺人鬼には全くそぐわず、的外れで滑稽なのだ。殺人鬼アーリーが人を殺すのは、普通の人が邪魔な物を横にのけたり、不要な物をゴミ箱に捨てたりするのと同じ。対象が“人”であるだけなのであった。
だからブライアンの台詞にアーリーは「何言ってんだ?」と口の隅で笑うだけ。ブライアンに殺人鬼を理解することは、きっと出来ないだろう。
そんなアーリーのトレーラーハウスに転がり込んだアデールはキャリーが想像していた事なんかは足下にも及ばないような経験をしてきていた。彼氏のアーリーは厳しく束縛して気に入らなければすぐに暴力を振るうが、普段は優しい。アデールにとっては親元にいるよりも、親元にいた時にあった事よりも比べものにないくらいアーリーの方がましだった。それにアーリーは自分を守ってくれる。それがアデールには一番必要な事だったのだ。
こんな事が、こんな世界がキャリーに分かるはずもない。
アデールはアーリーの真実の姿を見たくはない。見たいモノしか見なかった。だがそれは、キャリーもブライアンも同じだったのだ。見たいようにしかモノを見なかった。自分の世界の中でしか理解できなかった。必要な物、不要な物を瞬時に判断出来るアーリーこそがある意味、正直で本能的な判断力があるとも言える。
だがラストではそのアーリーさえも見誤った事が露呈する。
どんな人間だって自分の大切な物が壊されようとする時、自分の命が脅かされようとする時には、それらを守るため戦うのだ。
アーリーはその純粋な戦いに負けたのだった。