痛みと共に今までに感じたことがない爽快さ、血にまみれることでの破壊感が‘僕’を襲った。-病みつきになった「ファイト・クラブ」で
■ファイト・クラブ - Fight Club -■
1999年/アメリカ/139分
監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:ジム・ウールス
原作:チャック・パラニューク
製作:アート・リンソン、ショーン・チャフィン、ロス・グレイソン・ベル
製作総指揮:アーノン・ミルチャン
音楽:ザ・ダスト・ブラザーズ
主題歌:ピクシーズ「where is my mind?」
撮影:ジェフ・クローネンウェス
出演:
エドワード・ノートン(ナレーター)
ブラッド・ピット(タイラー・ダーデン)
ヘレナ・ボナム=カーター(マーラ・シンガー)
ミート・ローフ(ボブ・ポールセン)
ジャレッド・レト(エンジェル・フェイス)
ポール・ディロン(アーヴィン)
ホルト・マッカラニー(メカニック)
ザック・グルニエ(リチャード・チェスラー)
アイオン・ベイリー(リッキー)
■解説:
『セブン』のデヴィッド・フィンチャー監督がブラッド・ピットと再び組み、リアルで過激な暴力シーンの連続で世界中を熱狂させた話題作。ブラッド・ピットは主人公を奔放な生き方に引きずり込む「ファイト・クラブ」のリーダー、タイラー役で危険な魅力を発揮。文明社会の中で窒息しそうになっていた都会人たちが、殴り合いによる痛みを感じることで野性に目覚め、やがてその感覚は破壊的衝動へとエスカレートしていく。 (スターチャンネル)
■あらすじ:
仕事でアメリカ中を飛び回る主人公。不眠症を患う彼は自分のアパートをブランドもので埋め尽くすことでストレスを発散していた。ある出張帰りの飛行機でたまたま隣り合わせた男タイラー・ダーデンと意気投合。自宅の爆発事故を機に彼との同居生活が始まる。
飲みに行っては殴り合うことで日頃の憂さをはらして遊んでいた2人だったが、次第に人が集まり始め、‘ファイト・クラブ’という秘密組織が出来上がった。リーダーとなったタイラーのカリスマ性に次第に傾倒していく主人公だったが-
ある自動車メーカーのリコール査定部署に勤務する「僕」。不眠症を抱える僕の唯一の楽しみは、ブランドものの家具や小物で自分の高級アパートをカタログのような部屋にすること。利口で皮肉屋の彼の語りが物語を進めていく。
アメリカ中を飛び回り、事故を起こした自社の車を調査し、リコールするかを査定するのが僕の仕事。疲れて帰る自宅はお気に入りの家具で満たされ、まるでカタログに載っているような部屋だ。あともう一つ、食卓さえ揃えば完璧だが、手に入れた後はまた他の買うべき物を探し始める。カタログを見てどれにするかで頭をいっぱいにしている僕。
しかしいつまでたっても満たされない。全然眠れない。不眠症を診てもらいに病院へ行くが、診察する医者もまるで不眠症患者のようだ。高級な物に囲まれ、カタログの上で生活する不眠症患者たち。それが現代の人間だ。
そんな僕がたまたま立ち寄ってしまった「睾丸ガン患者の会」。睾丸を無くした男達が自分の胸の内を仲間にさらけ出し泣いている。話す者も聞く者も真剣で、そこは嘘や疑いの無い、純粋な場所だ。僕は患者でも無いのに、そこで男達の話を聞き、子供のように泣くことでストレスを発散し、熟睡できることを発見する。
「○○の会」依存症になった僕は、仕事帰りにあらゆる集会に出席するようになる。不治の病を背負った人。大事な何かを失った人。どの人をとっても不幸で同情に値する。そんな彼らに涙し、ついでに自分についても哀れみ、自分のために大泣きする。ストレスは涙と共に流れ去り、自分の洞窟を広げ、沈黙と忘却の暗黒の世界へと旅だっていく。
結果、熟睡できる-
これが主人公‘僕’だ。
仕事と集会のうつつの世界で生きる男。そんな彼が同じ頃2人の人間と出会う。
マーラ・シンガー
彼女は‘僕’と同じように、あらゆる集会に出席する。しかしマーラの欲しい者は安寧ではなく、ただで飲めるコーヒーにおやつ、食事だ。無料の喫茶店代わりに集会を利用する。どこの集会に行っても出会うマーラに‘僕’は激怒する。自分の行動を見透かされているようだからだ。自分の正体を暴かれたように感じるからだ。
‘僕’はリコール査定を行う社会人らしく、マーラと接触し、いくつもある集会を半分ずつ受け持つように話し合う。
マーラは‘僕’の奇妙な行動について別に何も思っていないのに..。
タイラー・ダーデン
痩身クリニックのゴミ箱から盗んだ脂肪で石けんを作り売る男。その他にもレストランや映画館でバイトをし、とんでもないイタズラをして一人ほくそ笑む。生きているということを毎日、毎時間、毎分たりとも忘れず、無駄にしない。物に支配されることを頑なに拒み、自由に生きる。
‘僕’とは真逆のタイプであるとも言えるのに、なぜか気があってしまった。殴ってみろよと言われてタイラーを1発殴ってみた‘僕’。当然殴り返されたが、痛みと共に今までに感じたことがない爽快さ、血にまみれることでの破壊感が‘僕’を襲った。
-病みつきになった
大事な家具と共にガス爆発の事故で家が吹っ飛んだ後、タイラーの雨漏りする屋敷に転がり込んだ‘僕’は、カタログ人生から生ある痛みを伴う毎日へと足を突っ込んでいく。2人だけの夜のファイトに、段々と他の男達が加わり、それはいつしか秘密の地下組織「ファイト・クラブ」へと変貌していく。
レストランの給仕、ガソスタの店員、ビルの掃除夫、しがないサラリーマン。華やかで大いに儲けている人々の陰で社会を支えているこれらの男達がファイトを通して、自分に自信を付け、心からの友を作り、増やしていく。
その中心にいるのがリーダー‘タイラー・ダーデン’。
ダーデンを中心に、ファイトをするだけのクラブであったのが、いつしか社会に対しての小さなイタズラをするようになり、どんどんとそれはエスカレートし、社会を脅かすほどの軍団と化していく。
そして‘僕’は、だんだんと疎外感を感じ始める-
本作は1999年製作だ。
物質主義を真っ向から否定する男‘タイラー・ダーデン’を、ある意味主人公に据え、稼いだ金を湯水のごとく「物」(ダーデン曰く単なる物)にそそぐ人々を徹底的に愚弄する。
街の一角に置かれた、意味もなく大きな金色の玉のオブジェクトをおしゃれなカフェに激突させるあたりに、それがよく現れていて、痛快でありながら、あまりものバカバカしさに笑いがこみ上げてくる。
ブラッド・ピットの動きに独特の軽快さがあってかっこよく、少しどじな主人公‘僕’との対比も楽しめる。物質主義反対!体制に断固抗議する!と言いながら、軍隊のようなタイラー軍団を組織していくところも笑うところだろう。今回で何度観たかわからないほど好きな作品だ。
しかし2012年の今、ちょっと感想が変わった。
世界的に不況の今、どの国においても仕事が無くて貧困にあえいでいる人が増えている。大企業でさえ赤字に転落、リストラが敢行されている昨今、人々は買い控えになり物が売れなくなってきている。デフレで物が安くなったのは一見いいようなものの、質はあきらか悪くなり、売っている側さえ青息吐息の現状だ。
明らかに本作が製作された1999年とは、物の価値が大きく変わってしまった。
さて、この今の現状をタイラー・ダーデンはどう思っているだろうか?
もし、まだあのファイト・クラブ=タイラー軍団が存在するとしたら、どういった行動を起こすのだろうか?今こそ、タイラーの新たなる力が必要なのではないかと思う今日この頃-
ではまた
こんな楽しい好きな作品の記事が暗くなってしまった…。
いつか景気がよくなったら、また書こう
財産が何の評価になる?
タイラー・ダーデン
車も関係ない 人は財布の中身でも ファッションでもない
お前らはこの世のクズだ
コメント
コメント一覧 (1件)
ファイト・クラブ 【映画】
みろ、ミロ、観ろ、といろんな人に言われたから、
仕方なく見ました。
なんてね。
まぁ、いつか見るつもりではいたのですが、
時期が早まったのは、
みろっ、みろっ、
と言っ