日常の嫌なことや、部屋の隅に追い詰められてしまったような閉塞感にスッと小さな穴を開けてくれる作品。追い込まれる毎日に感情的になり、自分の気持ちに振り回されることもある。そんな時に、本作の無感情な台詞回しのように、ひどい大根役者のような話し方で、とつとつと話し続け気を落ち着けるというのも“あり”なのかもしれない。
■ ドライブ・マイ・カー – Drive My Car – ■
2021年/日本/179分
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介 他
原作:村上春樹「ドライブ・マイ・カー」
撮影:四宮秀俊
音楽:石橋英子
出演:
西島秀俊(家福悠介)
霧島れいか(家福 音)
三浦透子(渡利みさき)
岡田将生(高槻耕史)
パク・ユリム(イ・ユナ)
ジン・デヨン(コン・ユンス)
ソニア・ユアン(ジャニス・チャン)
ペリー・ディゾン
アン・フィテ
安部聡子(柚原)
■解説:
村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した濱口竜介監督・脚本により映画化。映画.com
Contents
■あらすじ:
演出家で舞台俳優でもある家福(かふく)悠介は、元女優で今は脚本家として活躍している妻、音(おと)と二人暮らし。彼ら夫婦には娘がいたが4歳の時に病気で亡くしており、傷ついた心を癒しながらそのまま二人で過ごした月日は20年近く経っていた。彼らは深く結びついた夫婦であった。
そんなある日、妻の音がくも膜下出血で突然他界する。家福は傷心を抱え、地方公演の演出のため愛車のサーブで広島に向かう ─
見どころと感想
オープニングは夫婦二人の営みが赤裸々に映される。赤裸々と言っても、そういった(‘ω’)意味ではなく、とても癖のある行いが描かれるのだ。それは、行為が終わった後に紡がれる、妻・音の新しい物語の創作現場だ。それは今後の脚本になっていく物語で、締められていたネジが吹き飛んだ後のように、内から溢れ出してくる言葉により成り立っている。今回徐々に練り上げられているのは、ある女子高校生の恋物語。だがかなり変わっている。
この女子高生はある男子に片思いしている。その気持ちが思い余って、家族が不在なのを知った上で玄関マットの下に隠された鍵を使って彼の家に勝手に上がり込む、というもの。そして彼の部屋を隅々まで嗅ぎまわり(文字通り香りを嗅ぐ)、ベッドに横たわり、自分の物と彼の部屋の小さな何かを入れ替えて持ち帰り記念とする。
何度も繰り返されたこの犯罪まがいの行為。だがある時、その最中に誰かが家に帰ってきて、二階への階段を上がってきた ─
この続きを聞く前に音は亡くなった。
夫婦は深く愛し合い、理解し合い、穏やかな毎日を送っていたはずだったが、なぜか妻は他の男と何度も身体の関係を結んでは別れ、また他の男と、という裏の顔を持っていた。家福はそれを知っていた。知っていたが、知らないふりをしていた。何も見ず、何も聞こえない。ただ見えるのは自分をまっすく愛おしく見る妻の顔だけ。
そしてある日、その妻がいきなりいなくなる。「今夜、話がしたい」と言っていたその日に
本作はここからが本番だ。家福が愛車のサーブを運転し、広島に向かう。まさにタイトル通りのここから彼の旅が始まるのだ。
人は自分という人間を運転しながら人生を送り終えていく。前に進むのも右に曲がるのも、ブレーキを踏み、後ろを振り返りバックするのも自分次第だ。だが時に、自分以外の人間にハンドルを横から触れられる時がある。いや、自分以外でなくとも自分の中の制御できない何者かによって運転を横取りされることさえある。
家福は、いつも自分をコントロールして生きてきた。それは俳優という仕事のせいなのか、4歳という可愛いさかりの娘を失ったせいなのかは分からない。それが彼の生き方だった。舞台の仕事中は、いつも自分で車を運転して、台詞の稽古をしながら仕事場に行く。その台詞の相手は妻の音が録音してくれたもので、感情を入れずに抑揚のない声で、ただ本を読んでいるだけの「文字」が流れるような「音」の羅列だ。これを相手に自分も文字をただ読むようにして声を出しながら台詞を頭に入れていく、それも運転しながら。そんな方法の稽古だった。
それが彼の毎日だった。妻がいる時も、妻がいなくなった後も。感情的な言葉で本音でぶつかり合い、そしてその後、笑顔で握手するなんてことは、実は難しい行いだ。最初から、何も起こさなければ、何も起きない。
家福は初めて訪れた広島で色々な人と出会う。
今回のプロデューサーである韓国の男性、オーディションを受けに来た中国の女性、手話で話す韓国の女性、高齢の女性、男性。他にも東京から来た妻・音のかつての愛人である若者、高槻まで。だが、家福は感情を表に出さない。君のことは知っている、と妻の話を一緒にした時にさえ、仕事以外のことは話さないのだった。
そしてもう一人。関係者の事故を懸念し企画会社に雇われたプロのドライバー、渡利みさき。
飾り気がなく無骨な感じのする彼女に、最初は自分の車を運転して欲しくなかった家福だったが、彼女の落ち着いた運転技術に、芝居の稽古や考え事がスムーズに集中して出来ることが分かった家福は次第に彼女と打ち解けていく。みさきの感情がこもらず抑揚のない独特の話し方が、あの台詞練習時の録音に似たところがあって聞きなれている家福はそういう意味でも落ち着いたのかもしれない。
感情をあらわにしない家福とみさき。
家福の娘がもし生きていれば、みさきと同じ23歳になっている。そんなこともあって、彼女の生い立ちを聞いていくうち、彼女の抑えた感情と内にこもった孤独な影が自分と重なることに気が付き始める家福。反対に、何度気を付けても自分の感情を抑えられない青年、高槻。だが彼も何かを掴もうとして今回のオーディションを受けに来ていた。他のメンバーも与えられたものの中で最善を選びながら生きている。どの登場人物もとても人間らしいのだ。
そして時に運転を誤って事故が起きるように、それぞれの人生の中で自分が選び行動したことによって、希望する、しないに関わらず進む方向は変わっていく、否応もなく。
本作のタイトル『ドライブ・マイ・カー』には主語が無い。
自分の車ではあるけれど、広い道路にたくさんの車が走っているように、人生は単純なものではなく、人と人とが複雑に絡み合って出来ているからだ。一人の人間の人生は、家族や友人、一度会っただけの見知らぬ他人にいたるまで人やモノの影響を受け出来上がっていく。だが、それらを自分の人生にどれだけ影響させて活かしていくかは自分次第。だからこその「マイ・カー」なのだ。
全ては「言葉」で紡がれていく ─
それこそが人なのだと。
そしてラストは私たちに教えてくれる。
人は重荷を背負って生きていかなくてはならないが、いずれ人生を全うする時がくる。その時に出会うであろう神に「疲れたけど頑張ったよ」と愚痴を言えばいい。すると神は優しく労ってくれるだろう。
「よく頑張ったね」と。