5人の修道女の着ている修道服が白の綿で清廉な感じがいかにも水仙の花のよう。タイトルの「ブラック・ナーシサス(黒水仙)」から水仙の花に黒ってあったっけ?と考えていたが、物語が進むうち、これは「黒い水仙」という意味ではなくて、「物事には多面性がある」という意味なのかと思えてきた。1947年の映画『黒水仙』は観ていない。
■ ブラック・ナーシサス – Black Narcissus – ■
2021年/アメリカ・イギリス/全3話
監督:シャルロッテ・ブルース・クリステンセン
脚本:アマンダ・コー
原作:ルーマー・ゴッデン「黒水仙」
製作総指揮:アマンダ・コー他
出演:
ジェマ・アータートン(シスター・クローダ)
アレッサンドロ・ニヴォラ(Mr.ディーン)
アシュリン・フランチオージ(シスター・ルース)
ダイアナ・リグ(マザー・ドロテア)
ジム・ブロードベント(ファーザー・ロバーツ)
ジーナ・マッキー(シスター・アデラ)
ロージー・カヴァリエロ(シスター・ブライオニー)
カレン・ブライソン (シスター・フィリッパ)
シャニール・クラー
■解説:
「黒水仙」が原作のリミテッドシリーズ。全3話でメガホンを執るのは『ガール・オン・ザ・トレイン』や『偽りなき者』などで撮影監督を務めたデンマーク人監督のシャルロッテ・ブルース・クリステンセン。日本では12月8日(水)よりDisney+(ディズニープラス)で独占配信。海外ドラマNAVI
Contents
■あらすじ:
1934年、英国領インド・ダージリン。
まだ若いシスター・クローダを院長として、5人の修道女たちが伝道のためにヒマラヤの僻地を目指すことになった。そこはかつてインドの宮殿として使われていた建物“モプ宮殿”。将軍の妹君 シュリマティが大勢の女たちと暮らしていたが、彼女が自死してからは空き家になっていた。少し前に同じ目的で修道士たちが移り住んだが、わずか5か月で撤退。理由は分からずじまい。
夏は日差しがきつく、冬は寒く、空気が薄くて風が強い過酷の断崖絶壁に建つモプ。修道女たちが到着した場所は、そんな所だった。
修道女たちはここに教会を建て、地元の子どもたちのために学校を開く。周囲の村の人々の中に溶け込み、皆が集まれるような場所にする。そして布教活動をしていくのが目的だ。院長シスター・クローダは必ず成功させると誓っているが、出発前にマザー・ドロテアから傲慢にならないよう釘を刺されていた。またこの地の案内人であるディーンからも地元の人々の風習などには口を出さないように言われていた。
建物を修復し、学校の準備も徐々に整い子どもたちが訪れるようになった聖フェイス修道院。だがそんな中、精神的に不安定になり体調を壊し始めたのがシスター・ルースだった。初めのうちはシスター・クローダ院長に助けを求めていたのだが、高山病による体調不良だろうと軽く考えてしまった院長は多忙なのもあり、「きちんと食べてよく眠るように」と通り一遍の対処しかしなかった。仲間に寄り添うことが足りなかったがために、これが後々、悲劇に結びつくことになる ─
希望と野望を胸にヒマラヤを目指したシスター・クローダの物語はこういう風に始まる。だが到着してすぐに5人の結束に綻びが見え始め、暗雲が広がりだす。けれど修道女たるもの、心の内をあからさまにはしないものだ。何があろうと人の心に寄り添い、平安に導いていかねばならない。
元の宮殿が別名「女の館」と呼ばれ、何やら怪しい雰囲気がそこかしこにあるからなのか、前の主人シュリマティが不幸な理由から自死を選んだことが理由なのか、まずはそれらの記憶がシスター・ルースに憑りつく。憑りつくといっても、過去の亡霊が現れたのではない。過去の物語を聞くことによって、ルースの心の中にある女としての欲が表面化したに過ぎない。
だがそれはルースだけではなかった。院長クローダ自身も過去の恋の記憶が度々蘇り身を焦がす。いくら自戒しても記憶が襲い来る。そうするうち、野菜を育て自給自足の足しにしようと畑の管理をしていたはずのシスター・フィリッパが野菜の代わりに花を植えだすように。理由を聞くと“美しい”から。けれどフィリッパはすぐに自分の過ちに気が付き、クローダに話した。「この人を寄せ付けないヒマラヤの地が私を狂わせる。ダージリンに帰りたい」と。
人を狂わせる聖地ヒマラヤ
そこは人を狂わせる場所であるのではない。あまりの自然、何もない大自然の中で、本来の自分が表面に現れてきてしまうのだ。人の多い都会では毎日の仕事や生活、喧騒や多種多様な人の行いに対して「私たちは修道女」という立場を守ることは逆に容易いのかもしれない。それらのほとんどは反面教師であるからだ。だがここヒマラヤでは比較するものが何も無い。あるのは雄大なというには恐れ多い居並ぶヒマラヤの峰々のみ。そこに現れ、大きな声で叫び出す自身の心の欲や葛藤。それらは浮き彫りになって周囲に共鳴していく。
モプ宮殿の過去の物語は関係ないのだ。あくまでも自身の内側が鏡に映っているに過ぎない。
これらから、彼女たちの前にこの地を訪れた修道士たちも苦しんだのだろうと分かる。大自然の中で暮らすということはそういう事なのかもしれない。
ところで水仙の花ことばは「自己愛」「うぬぼれ」というものから「希望」「尊敬」というものまで多種多様。
本作のタイトルは邦題で「黒水仙」。水仙の花に黒い色のものは無いようだが、この「黒」に込められた意味は最初にも書いた通り、
「物事には多面性があり、こうだと決めつけたところで、自分の思うようにはならないよ」
みたいな意味なのかなーという感想。決して「腹黒い女たち」ではないと思うよ(‘ω’)
映画『黒水仙』(1947)
インド・ヒマラヤ山麓の女子修道院を舞台としたルーマー・ゴッデンの小説の映画化であり、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーが共同監督、デボラ・カーが主演した。インドでのロケーションは行われず、テクニカラー作品として撮影されている。
Wikipedia
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