大きな窓から一望できるマンハッタン。明るい内に事件は起こり、夕暮れ時には事件を暴かれるのではとあせる犯人の心臓の音が聞こえるほどに。そしてネオンが輝きマンハッタンの夜が始まった頃、学生達を犯罪者へと導く結果となった男の背中が泣いていた。
■ロープ – Rope -■
1948年/アメリカ/80分
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:アーサー・ローレンツ 他
原作:パトリック・ハミルトン
製作:アルフレッド・ヒッチコック 他
撮影:ジョセフ・ヴァレンタイン 他
音楽:レオ・F・フォーブスタイン
出演:
ジェームズ・スチュワート(ルパート・カデル)
ジョン・ドール(ブランドン・ショー)
ファーリー・グレンジャー(フィリップ・モーガン)
ジョアン・チャンドラー(ジャネット・ウォーカー)
セドリック・ハードウィック(ミスター・ケントレイ)
コンスタンス・コリアー(ミセス・アトウォーター)
エディス・エヴァンソン(ミセス・ウィルソン)
ディック・ホーガン(デイヴィッド・ケントレイ)
ダグラス・ディック(ケネス)
■解説:
1924年、シカゴで実際に起きたローブ&レオポルト事件を題材に、ヒッチコックが映画内の時間進行と現実の時間進行を同じに進めながら描いた実験的作品。
■あらすじ:
マンハッタンにある、とあるアパートの一室。完全犯罪を完結させることにより、自分たちの優位を示すために殺人を犯したフィリップとブランドン。彼らは、殺人を犯した部屋に人を呼んでパーティを開く、というスリルを楽しみさえするが- (allcinema)
なんとも後味の悪い作品だった。
殺人を犯す犯人達の動機が一向に理解できない。その犯罪を犯す原因を作った教師の考え方もさっぱり..
「その行動を行うか行わなかったのかが、私とおまえ達との違いだ!」と言う教師。これでまた余計にとなる自分。いったいこの犯罪はどうして起きてしまったのか。
摩天楼を見下ろす高級アパートの一室。ここは大学を出たばかりのブランドンの部屋。室内は高価なもので彩られ、彼の面倒をみるミセス・ウィルソンは今日のパーティの準備で忙しい。一緒にいるのはパーティの主役、昔なじみの友達フィリップ。2人はミセス・ウィルソンを買い物に行かせた。その間に訪ねてきたパーティの一番客、同級生だったデイヴィッドを招き入れ酒を飲ませる。そしてその後、おもむろにロープで両側から力一杯彼の首を絞めた。
彼は死んだ。
急いで部屋にある大きなチェストに死体を押し込んだ2人。これは計画殺人だった。
そして2人は話し出すのだ。どうしてこんな事をしでかしたのか。
被害者は誰でもよかった、自分たちより劣っている人間=凡人であれば。
凡人とは、自分では何もなさず、人間関係の軋轢におびえ、受動的に他者と画一的な行動をする現代の一般大衆(ニーチェ:ツァラトゥストラはかく語りき)。そして自分たちは永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」な存在。
超人が全てを支配し、凡人の運命さえこの手に握る。優れた者は劣った者を支配するという考え方。
凡人を殺すことで、自分たち超人が感じる紛れもない「生」。この凡人殺しを完璧な形でもって行い、完全犯罪を遂行する。これこそが芸術であり、超人たる所以なのだ-。
・・・恐ろしい。
こんなとんでも理論をぶちかますブランドン。一緒になって殺人を犯したフィリップは、子供の頃からブランドンの言いなりで、今回のデイヴィッド殺しも進んでやったのでは無かった。彼をチェストに押し込んだ時にはすでに後悔していた。「警察に捕まってしまうのではないか」と。
ブランドンの話す「超人思想」は、哲学的な概念の一つにすぎず、この概念に色々な思考や経験などが積み重なり、より高みへと上がっていく通り道に過ぎない。しかし、ブランドンはコレこそが自分の到達点であると勘違いした。コレこそが自分の権利だと。凡人にとっては義務だとさえ考えたのだ。
この概念について教えられ議論を戦わせたのは大学時代の教授カデルだった。
今日のパーティには、このカデルも招待している。招待したのはカデルだけではない。殺すことを決めていたデイヴィッドの婚約者ジャネット、その婚約者の元恋人ケネス、そしてデイヴィッドの両親さえも招待し、なんとデイヴィッドの死体の入ったチェストのある部屋でパーティを行うという、非人道的で傲慢な計画をしたブランドン。
しかしカデルはただの大学教授ではなかった。皮肉屋でなんでも疑ってかかるのが得意という性質にフィリップはこの犯罪を嗅ぎつけられるのではないかと恐れる。
皆が集まり、パーティが始まった。ミセス・ウィルソンの料理に舌鼓をうちながら談笑する参加者であったが、いつまで待ってもデイヴィッドが来ない。最初は遅れているだけだと考えていたが、何か事故にでもあったのではと心配し始めるデイヴィッドの父親と母親の代わりに参加したデイヴィッドの叔母。その様子にほくそ笑むブランドンだったが、フィリップはどんどん落ち着きがなくなり酒をがぶ飲みし始める。
それら全ての様子を観察していた大学教授カデル。デイヴィッドが来ないままパーティはお開きとなったが、タバコケースを忘れたともう一度アパートに戻ってきた彼。
そして、犯罪者2人と2人を疑うカデルの戦いが始まる-
本作は1924年に実際に起きた「レオポルドとローブ事件」を元にしている。
実際の事件は本作に比べてもう少しドロッとしているようだが、ニーチェの「超人思想」にかぶれていた点は同じで、逮捕される恐れを一切感じることなく完全犯罪を成し遂げる力があると信じていたらしい。
この事件をモデルに製作された映画は他にもリチャード・フライシャー監督の『強迫/ロープ殺人事件(1959)』、トム・ケイリン監督の 『恍惚(1992)』、バーベット・シュローダー監督の 『完全犯罪クラブ(2002)』がある。
この犯罪はどうして起きたのか。
劣ったと感じた人間を完全犯罪の形で殺し、それらを芸術作品として悦に入り自らを昇華させる。
・・・分かりません。
実際の犯人も裕福な家庭の子息だったようだ。生活のために働くこともなく、学費のためにバイトする必要もない。ようするにお金と時間がたっぷりある暇な大学生。大学では哲学などを学び、知識だけは身につけるが、実際の活用法も活用させる場も経験もない。そんな2人の学生が色々な知識のかけらを妙な形に寄せ集め、テレビゲームのように殺人を犯したのだろうか。
本作のブランドンは何度となく「優れた者と劣った者」の話をするが、どうみてもデイヴィッドがブランドンよりも劣っているとは思えない。デイヴィッドの婚約者ジャネットは、前の恋人ケネスの前にブランドンと付き合っていた。そして息子の友達のパーティに顔を出すデイヴィッドの親。反対にブランドンの親の話は一切出ない。
この殺人は優れた者が劣った者を殺したというような高尚な哲学的理由などなく、ただ単に劣等感を認めたくないがために、ブランドンがその最も憎らしい相手を殺したのに過ぎないのではないか。フィリップがずっとブランドンに頭が上がらないと同じく、ブランドンはずっとデイヴィッドを羨ましく思っていたのではないか。もちろん自分では気がついていないのだろうが。
この幼稚な完全犯罪なる殺しはカデルによってすぐに暴かれてしまう。
本作はパトカーのサイレンが摩天楼に響き渡るシーンで終わるが、一番ショックを受け、うなだれているのはカデルだった。これが一番印象に残った。
ではまた