またタイトルだけで安易に選んで観た本作。観終わってまずの感想は、どうも気分が悪い。何に対してかは分からないけど、観たことを少し後悔してる。どうしてかは今から解明していこうと思う。あともう一つ。タイトルの「子どもたち」の“たち”にも注目。
■ 野良人間 獣に育てられた子どもたち – Feral – ■
2018年/メキシコ/101分
監督:アンドレス・カイザー
脚本:アンドレス・カイザー
製作:ニコール・メイナード・ピント他
音楽:カルロ・アイヨン
出演:
エクトル・イリャネス
ファリド・エスカランテ
カリ・ロム
エリック・ガリシア
■解説:
1日約300人、年間約10万人が誘拐され、3万人近くが命を落とすといわれている犯罪大国メキシコ。身代金目的だけでなく、人身売買や臓器売買の犠牲となっているその犠牲者の多くが幼い子どもたちである…。南米の山奥からの未体験の衝撃、“ラ・ヨローナ”伝説を遥かに超えた、想像を絶するリアルな恐怖が襲い来る。
■あらすじ:
1987年、南西部の都市オアハカ郊外の人里離れた山岳地帯の民家で火災が発生し、家屋は全焼、焼け跡から1本のビデオテープが発見される。その後紛失するが、2017年に見つかり、約30年ぶりに真相が明らかになる。ビデオに映っていたのはまるで野獣のように野生化した子どもたちだった ─公式サイト
Feral:野生
人里離れた山岳地帯で暮らす元聖職者の男フアンが、山の中で見つけた野生児の少年を警察などには引き渡さずに、人として暮らせるように教育を始める。そうするうち、洞窟の中で長い間、鎖に繋がれたままの2人の子どもをまたもや見つけ、同じように連れ帰る。周囲でこのことを知っているのはフアンの友人数人と家政婦だけだった。
だが、自身もトラウマなどの問題を持つフアンと、なかなかしつけの入らない子どもたちは次第に周囲から孤立。そしてある日、火事が起きる。
これが1987年頃のこと。火事の焼け跡から見つかり紛失していたビデオテープが30年経った現在、発見される。それを見て当時の関係者にインタビューをしながら、この山岳地帯で何があったのかを解明していくというドキュメンタリー方式の作品が本作『野良人間 獣に育てられた子どもたち』(←邦題のイメージとはかなり違う(-“-))。
流れるビデオテープはフアンが3人の子どもたちを記録したもので、自身の考え方や起きたことなども日記のように同時に記録されている。このビデオが始まった頃は、聖職者らしくきちんとして落ち着いて見えるフアンと山の中から連れ帰ったばかりの動物のような少年がとらえられ、少しずつ少年の心に寄り添いながら面倒を見ているフアンの献身的な様子が映し出される。
山中で一緒に少年を発見したフアンの友人はインタビューに答えている。
「この野生児は髪はぼさぼさで爪が伸び、泥まみれ。四足歩行で、食べていたものの影響か歯は変形しており、熱い・冷たいを区別できない。言葉は話せず、意思の疎通は難しい。」
しかし、こうも付け加えている。
「だが、瞳には確かに知性が宿っている。」
「野生児」とは、何らかの理由で人間社会から隔離された環境で育った子どものこと。
野生児にも種類があり、
- 赤ん坊の頃から獣によって育てられた
- ある程度育った後に山などで遭難して、そのまま一人になった
- 監禁などで放置されていた
人としての養育や教育をされず、中には動物に育てられたという例もある。まぁ、世界の中にはこんなことが一つや二つあるだろうくらいの認識だったけど、調べてみると野生児の事例は思っていたより多くてびっくりした。本作の中でも「フランスの例や、ローマ神話の“ロームルスとレムス”があるだろう?」ってインタビューに答えていた人がいたな。
野生児の特徴は上にも書いた通りで
- 四つ足
- 言葉を話さない
- 暑さや寒さを感じないなど感覚機能が低下している
- 情緒が乏しく人間社会を避ける
- 羞恥心が無く衣服を着用しようとしない
- 相応の年齢になっても性的欲求が発現しにくいまたは発現しても適切な対象と結び付けられない
- 生肉・臓物など調理されていない食品を好む
などがある(Wikipedia:野生児より)
この最初の少年は、野生児ながらも怖がる、怒る、笑うなどの感情を表現することができ、少しずつではあるものの意思の疎通が図れるように。だが次に見つかった洞窟の少年、少女は上にもある通り、情緒が乏しく感情もあまり表さず、まるで人形のようだった。
それでも愛情深く接するフアン。けれども、洗礼を授けクリストバルと名付けられた最初の少年の行動が手に余るようになってきた頃から、精神的な問題が顕著になってきたのはフアン本人だった。
おどおどした様子で、カメラを正面から見ることが出来なくなってきたフアン。自分のやってることに自信が持てない様子がうかがえる。インタビューに答える友人は
フアンの子ども時代は決して幸せなものではなかった。父親は幼い頃に亡くなり、兄が一人いるが家を出ており、母親と二人で暮らしていた。母親はフアンの全てを管理し、聖書以外の書物は捨ててしまうほどの狂信者。友人を持つことさえ許されず、家に閉じ込められたような毎日だった。
“母さんが死んだ日が人生で一番幸せな日だった”と言った彼は、母親の葬儀に兄ともども戻らなかった。
そんなフアンが選んだのは聖職の道であったが、教会のやり方とは相いれないものがあり、破門されるような形で山に籠ったのだ。孤独がつのる中、そこで見つけた子どもたちと疑似家族のように暮らし始めた彼は、最初こそ聖職者として子どもたちを見ていただろう。けれど子どもというものは、元来、我がままで生意気なもの。そのうえ、野生児だったのだから、大人の言うままになるはずもない。男一人で三人の子どもを育てていくのは手に余るようになる。家族のようであれば、あるほど、不満やいら立ちが出て、隠せなくなってくる。
そんな中のフアンの子どもたちへの態度は少し行き過ぎな面もあったけれど、ごく普通の父親のようであったと言える。けれど、フアンは思い悩んだだろう。
聖職者としてどうなのか?
これではまるで自分の母親のようではないか?
そして悲劇的な結末を迎えるのだ。
フアンは友人に「子どもたちを迎えたのは失敗だったのかもしれない」と手紙を送る。だが、彼にやり直しの選択はなかった。彼は火を使って全てを浄化した ─
ここまで書いて、少し自分の気分も落ち着いた感じがする(-.-)
本作初っ端近く、フアンがあげた食べ物を少年が咥えた場面で、もう観始めたことを少し後悔した私…。ぼさぼさの髪をし、四つ足で物を咥えた少年の背景事情…。もしかしたら親に捨てられた?誘拐されて捨てられた?迷子になって生きていた?やらなんやらの隠された事情が、それも不幸で可哀そうな事情が波になって押し寄せてきた感じに耐えられなかったようです…
けれどもフアンが友人への手紙に書いていたように、人間の世界に無理やり連れ戻すのが唯一最良の方策であるとは限らない。この少年もフアンたちに見つからなければ、まだ山で生きていただろう。人間世界のことなんか知らなければ、自分が不幸かどうかなんて知りもしないし、理解もしない。
道は一つではないのだ。
Contents
野生児の記録
野生児が発見・保護された場合、社会性を失い痴愚的な状態となっているため、人間らしくするための教育が行われることが多いが、ほぼ完全に人間らしさを取り戻した事例は少ない。
Wikipedia
- ヘッセンの狼少年(7~12歳ぐらいのときに、ドイツのヘッセンで狼といっしょにいるところを捕獲された少年)
- クラーネンブルクの少女(1717年8月、クラーネンブルクの山中で保護された少女)
- 野生児ピーター(1724年7月27日に発見され、ピーターと名付けられた野生児)
- ソグニーの少女(1731年9月、フランスのシャンパーニュ地方ソグニー村で発見された少女)
- クロンスタットの野生児(トランシルバニアとワラキアの間で発見され、クロンスタットに移送された22~25歳程度の青年)
- アヴェロンの野生児(1797年に南フランスのタルヌ県で捕らえられた少年)
- カスパー・ハウザー(1828年3月26日にドイツのニュルンベルクで発見された少年)
- デビルズリバーの狼少女(1845年メキシコのデビルズ川付近で狼の群れに混じって10歳位の女の子がいることが発見された)
- スリーマン卿が報告したインドの狼っ子
- オーバーダイクの救貧施設で保護された野生児
- 野生児サニチャー(1867年にカジャール族の男性によって狼の巣穴から発見されたインドの少年)
- インドの豹少年(インドで発見された、豹に育てられた少年)
- アマラとカマラ(1920年にインドのミドナプール付近で狼とともに発見された2人の少女)
- 小ターザン(エルサルバドルで1933年頃に捕獲された少年)
- サハラのカモシカ少年(1960年にサハラ砂漠でカモシカと暮らしているところを発見された少年)
- オクサナ・マラヤ(1991年にウクライナで保護された少女)
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