ある朝、目を覚ますと自分の身体が巨大な毒虫に変身していた・・・!これは何にでも置き換えることができる「if」物語。お話は驚き、悲しみ、絶望、憎しみ、希望へと、なるように流れていく。
ただし、犠牲は必要だったが。
■ カフカ「変身」 - Metamorphosis – ■
2012年/カナダ/85分
監督:クリス・スワントン
脚本:クリス・スワントン
原作:フランツ・カフカ「変身」
出演:
エイリーク・バー
ロバート・パフ
モーリン・リップマン
ローラ・リース
アリスター・ペトリ
クロエ・ホウマン
ジャネット・ハンフリー
ポール・ソーンリー
リアム・マケナ
エイダン・マクアードル
■解説:
20世紀の文学を代表する作家フランツ・カフカの「変身」を元に、疎外された人間の孤独と、疎外する側の冷酷さを描く問題作。
■あらすじ:
ある朝、体に違和感を感じて目覚めた青年グレゴール。目の前には巨大な虫の手足が蠢いていた。それは自分が巨大な毒虫になった姿だったのだ。変わり果てた姿を見た妹は、驚きのあまり金切り声をあげ、母親は失神し、父親は恐怖と怒りでステッキを振り回しグレゴールを追い立て部屋に閉じ込めてしまう。それでも家族は状況を受け入れようと努力していたが、毒虫との生活は想像を絶するものだった ─amazon
いつものように目覚まし時計が鳴る。鳴ったその時、自分の手は確かに自分の手だった。”う~ん”と出した声も自分の声だった。だが次の瞬間、ベッドから出ようとした、その瞬間、腕は髭に覆われた細長い何本もの足になり、背中と腹は甲羅に覆われ、上向きになったまま動くことができない、足をバタバタさせた巨大な毒虫に変身していた。
物語は虫に変身してしまった主人公グレゴール・ザムザのナレーションによって進んで行く。もちろんどうして自分が虫になんかなってしまったのかは分からない。だが仕事に行けなくなって考える時間がたっぷりできた。
グレゴールは、事業の失敗で多額の借金を抱えた父親の代わりに家族を支えている。仕事は朝が早く出張ばかりの布地の販売員。今日も目覚ましが鳴ったのは朝の4時だ。朝食の時間になっても部屋から出てこないグレゴールに家族全員が声をかける。
「おはよう、グレゴール。もう時間よ」
「どうしたんだい、グレゴール。具合でも悪いのかい?」
「兄さん、どうしたの?ドアを開けて」
そのうえ、勤務先の支配人までもが「なぜ、出張の出発時間に来ないのか?」と訪れた。
グレゴールは一生懸命、返事をしていた。一生懸命、ベッドから降りようとしていた。だが、その声はもはや人間のものではなく家族に通じない。手足は8本もあるが片側にしか折れないため、うまくひっくり返ることが出来ず移動できない。
グレゴールは毒虫なのだ。
そうしているうちに、虫に変身した事実はすぐに家族たちの知るところとなる。
驚き泣くばかりの母親、怒りのあまりグレゴールを部屋に追い立て、二度と見たくないとばかりに閉じ込めた父親、慣れるまで少し時間がかかったものの、優しい眼差しで兄と認めた妹。支配人は叫びながら逃げて行った。この家のお手伝いも怖がって暇を願い出た。だが、それはちょうど良かったのだ。この家のたった一人の稼ぎ頭がいなくなったのだから。
ザムザ家は多額の借金を抱えている。家計を助け借金を返すためにグレゴールは一心不乱に働いてきた。だが、他の家族はどうだ?小さな家にはお手伝いがいて、家事、食事全般全てを任せている。母親と妹はゆったりとソファに座り、お茶でも飲んでいるのだろうか?父親も足が悪いとかの理由で、寝巻のような格好で一日を怠惰に過ごしているように見える。全ては長男グレゴールの肩一つにかかっていた。両親と妹、借金、生活、お手伝いまで全て。
まだ若いグレゴール。虫に変身したと知った時、もう一度眠れば悪夢は終わるのか?と祈った。けれど、どうだろうか・・。どっちが悪夢?
たとえ、身体が虫になり話をすることが出来なくなったとしても、生きていくためには食べ物や適度な運動、気晴らしが必要だ。その面倒は妹がみた。たとえ見た目が変わっても、愛情ある素振りで食べ物を運んできた。運動しやすいようにと、もはや不要となった家具の移動も率先してやった。
だが、妹も働く必要がでてきた。毎日、仕事に出かけ疲れるようになり、余裕がなくなって前ほど兄の面倒を見なくなってきた。母親には愛する息子の虫の姿は見せられない、というのが家族の総意だ。父親も仕事を見つけたが、家事はしない。妹の負担が大きくなった。
グレゴールは、じっと聞き耳をたて家族の話を聞き、様子を伺ってきた。自分に対する悲しみや絶望、怒りや蔑み。それら全てが自分の命に関わるのだ。自分の命は彼らにかかっている。お手伝いがやめ、代わりの老女が雇われ、家賃収入のために3人の気取った下宿人も決まった。そのたびに自分は邪魔になるばかりだ。父親に投げられたリンゴの怪我がなかなか治らない。
グレゴールは食べることをやめた。
未見の方はご注意を
これ以降、グレゴールは「食べる」ことをやめ、じっと部屋で隠れているようになった。だが、それは寿命が尽きようとしていたからだった(ゆっくりした自殺のようでもあったが)。そして虫は死に、グレゴールは存在しなくなった。家族は悲しみながらもホッとしており、引っ越しや新しい仕事のことなど、次なる人生に踏み出していく。ここ数年で、子どものようだった妹もいつのまにか素敵な女性へと変わった。両親は嫁ぎ先の話をしている。
物語は、ここで終わる。
実は、私は最後のここでゾッとした。両親さん?今度は妹にすがって生きて行こうとしてはいませんか?
この『変身』には、
「見た目が変わっても変わりない愛情を注げるか?注ぎ続けることができるか?」
という主題があるのだろうけれど、他にも個々人の「自立」や「責任を持って最後までやり遂げる」やその他いろいろなものが詰まっている。物事を両面から見ることで、他の意味も持ち合わせてくるだろう。
けれど、最初の方に書いたように、グレゴールは家族のための毎日に疲れていた。当時は長男が一家を支えるというのが当たり前の時代だったのかもしれないが、疲れていた。本音はこの悪夢のような毎日から逃げ出したかった。こんな朝早くで起きたくなんかない。心配して声をかけてくる家族たちは、ただ一人の稼ぎ頭が心配なだけなんじゃないのか?もうほっといて欲しい。
これがグレゴールの、あの朝の真実じゃないかなぁ。虫になって家にいることで見えてきたこと、分かったこと、自分が捨ててしまったこと、捨てられたこと。変身することで理解できたこと。
ただ一つ、グレゴールの失敗は大きな虫になってしまったこと。あれが普通サイズであれば、もっと自由だったのに
原作を知らなかったので、もっとおどろおどろしい内容だとばかり思っていたけれど、虫の造形にあまり「虫さ」が無く、虫の瞳に人間らしさがあって同情することが出来た。「虫はちょっとなー」という人も、「なんか難しそう」って思う人も案外平気で気楽に見られると思うので、興味があればぜひご覧を。
このブログの「不条理」作品
-
ホラー
『サランドラ 』(1977)-The Hills Have Eyes
人食い殺人鬼一家が砂漠にお出ましするウェス・クレイヴン監督作元祖『サランドラ 』。一作目にしてなぜ彼らが人を襲うのか元々の理由がわかるようになっている(あまり… -
サスペンス
今度のイーサン・ホークは『ブラック・フォン』 (2022)
イーサン・ホークと言えば、どこか頼りなげながらも基本的には“善人”なイメージ。でも最近はちょっと違う彼を見ることが出来る。本作『ブラック・フォン』 もそう。普通… -
ドラマ
『アニマル・キングダム』(2010) - Animal Kingdom –
犯罪一家に放り込まれた17歳の少年が、生きるために順応していく様子がリアルに描かれる。しかしそれはオドオドと周りを下から見ているのではない。どうどうと顔を上げ…