『アノニマス・アニマルズ』というタイトルと画像から、これは動物人間のアクションか?ファンタジーか?と思いながらも何か怪しげな、鵜呑みにしてはいけない雰囲気が…。当たってた(‘ω’) 64分の食べられるか、いつ食べられるか、の物語。
■ アノニマス・アニマルズ 動物の惑星
- Les Animaux Anonymes – ■
2020年/フランス/64分
監督:バティスト・ルーブル
脚本:バティスト・ルーブル
出演:
ティエリー・マルコス
ポーリン・ギルパン
■解説:
林の中、鎖に繋がれた男は突然、何者かに連れて行かれる。トラックで運ばれた男女達は畜舎に放たれる。狩人は匿名の動物たち。それは人間と動物の立場が逆転した世界。
「言語」という人間独自のコミュニケーションが排除されたその世界で、表情と本能に根付いた行動のみでストーリーが動き出し、緊張、不安、恐怖といった感情を生み出す異色のスリラー。各国の映画祭にノミネートされたものの物議を醸した問題作。amazon
英題:Anonymous Animals(名もなき動物たち)
で、あぁそうか!『猿の惑星』か!と思ったあなたは、管理人と同じくまだ間違ってる(-“-) 『猿の惑星』にしろ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』にしろ、共通の(もしくは分かり合える)「言語」を使って意思疎通を図り、問題を解決し、物事を決め、良くも悪くも前に進んで行くのが人類社会であり、映画作品だ。
ところが、どう?本作が怪しい雰囲気を漂わせている理由は作品内に「セリフが一切無い」!という解説。そのうえ「人間と動物の立場が逆転した世界」ときた。これらを知って改めてポスターを見てみると、非常に危険な、今すぐ逃げ出さなくてはいけない気分になってくる。決してふざけた楽しいお遊びではない、というのが分かってくる。
Contents
序章 歩く男
獲物を追いかけるように、もしくは手に入れた獲物を探しているかのように林の中を歩く男。その彼が、少し開けた場所で見つけたのはキツネだ。生きているのか、死んでいるのか分からない。目を見開き、口から血をたらし、そのまま剥製になったかのように固まっている。これが彼の獲物なのか?それともキツネが獲物を見つめているのか?
第一章 髭の男
先ほどとは別の髭の男だ。
彼は林の途切れた道路沿いで目を覚ました。首には年季の入った首輪が付けられ、そこから長くて重い鎖が太い木の幹まで伸びている。木に巻き付けられた鎖の端にはご丁寧に頑丈な錠まで付けられて、人の力では脱出不可能。なぜ、ここに彼が置いてけぼりになっているのかの説明は無い。
絶望していたところに一台の車が通りかかる。普通なら助けを呼ぶため手を振るだろう。だが彼はひどく不安げに逃げ隠れようとした。絶望のその先に訪れた、更なる命の危機。車を停めて降りてきたのは黒犬の顔をした者だった。
第二章 男たち、女たち
森の中で一人ずつ狩られて、トラックに乗せられた複数の男女。彼らは大きな畜舎に連れてこられ、電流の通った柵内に放り込まれる。トラックの運転手はバッファローの顔を持ち、凶暴だ。一人が隙を見て逃げ出そうとしたが、電流棒を当てられ、電流の柵にも触ってしまい身動きが取れなくなってしまった。そのまま引きずられるように連れて行かれる男。その先には大きな肉切り包丁を持った馬の顔を持つ者が待っていた。
第三章からはネタバレありです
未見の方はご注意を
第三章 人間たちの行方
畜舎の人間たちは、その場所の由来通り順番に屠殺され、この星の生態系の頂点である動物たちの食料となっていく。一見、優しそうな馬の者も仕事は屠殺、解体であり、油断はならない。いや、屠殺される前に”この馬は味方だ”と思わせ、少し気分が和らぐことは、死ぬ前の最後の記憶としては悪い事ではないとも言える。
髭の男は、男を見つけた犬の顔の者の趣味である「闘犬」ならぬ「闘人」として十分に食べ物を与えられ、納屋の隅で飼われるようになった。だが、目的は「闘人」ゲームへの参加だ。その時はすぐに来た。興じるのは犬の顔を持つ者たちだ。
賭博として成り立っている「闘人」。髭男の相手も同じ人間で、「闘犬」の戦いがそうであるように、どちらかが死ぬまで戦いは終わらない。途中で逃げ出すような弱い「人」や、怪我した「人」は使いものにならないという理由で殺される。
髭の男も命を失った。
終章 走る男
「闘人」で髭の男と戦った男が走り出した。畜舎を抜け、森に入り、どこまでも走って行く。気が付いたバッファローの者の合図で、ライフルを持った見張りの鹿の顔の者がすぐに追いかける。この者は常にここに立ち、逃げ出す人を監視していた。
男は足が速かった。だが鹿の者も負けてはいない。男のすぐ後ろ、背中を狙えるところまで追いついたところで ─
ここで、ライフルを持って追いかけている側が”闘人で戦った男”に代わった。そしてなお、走り逃げているのは鹿だ。男はライフルを構え、撃つ。倒れる鹿 ─。
感想
ラストの数秒、えっ!?となってエンディングロールが流れる。
人間たちが捕まり、逃げていた森や、放り込まれた古い畜舎が映る。そこには誰もいないが、何かもの悲しい空気が流れる。そういえば、本作の64分の間、ずっと霧が出ていた。これらは全て霧でかすむ中で起きていた。そして最初の意味があるのか無いのか、生きているのかさえ分からなかったキツネの目を思い出すのだ。
これは、このキツネの最期の夢だったのか?こうであれば良かったのに、というキツネの妄想の世界だったのか?
・・そして霧が晴れる。
日頃、食べるために、趣味のために、動物を狩り、動物を飼い、自由に生きている人間。もちろん人間の中にも多様な考え方があるのだが、ここでは純粋に動物の立場になって一度考えてみよう、と。立場が逆転し、何を訴えても、どう抗おうとも、自分たちには何の自由もない。生かされ、食べられ、殺され、仲間の餌にさえされてしまう、その恐怖 ─。
本作は、だからこうしろ、ああしろ、とは言わない。
本作にセリフが無いのは、動物はしゃべらないからだ。その表情や行動で分かって欲しいからだ。合わせてタイトルの「アノニマス」とは”匿名の”という意味で、「個」を一切無視した本作の名前の無い登場人物、登場動物たちを指している。
「匿名」ではなく、「名前」を付けて個々人を認識しようというのは、人間対動物だけに限ったことではない。人間通しに関しても言えること。もっとシンプルに、もっと根源的なところで、分かり合うことが出来ないのか?というメッセージだ。人間が手に入れた知性をもっと基本的なところにも使おうよ、というメッセージ。
そして感謝を忘れない、という気持ち。
そう言えば、何故か見てしまう擬人化した動物たちが出てくる物語。実際、子供向けアニメや番組はほとんどがそんな感じだけど、大人向けアニメにもある。そんな中でもお気に入りは下の2つ。
「アフリカのサラリーマン」はギャグマンガとして気楽に、「BEASTARS」は肉食獣と草食獣がいかにして野生を殺して共存していくか、みたいな少し複雑な青春もの。あ、また続き見ないと
ではまた
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