『俺たちに明日はない』(1967) - Bonnie and Clyde –

2人は生き、そして死んだ

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■ 俺たちに明日はない – Bonnie and Clyde – ■
1967年/アメリカ/112分
監督:アーサー・ペン
脚本:デヴィッド・ニューマン、ロバート・ベントン
製作:ウォーレン・ベイティ
撮影:バーネット・ガフィ
音楽:チャールズ・ストラウス
出演:
フェイ・ダナウェイ(ボニー・パーカー)
ウォーレン・ベイティ(クライド・バロウ)
マイケル・J・ポラード(C・W・モス)
ジーン・ハックマン(バック・バロウ)
エステル・パーソンズ(ブランチ・バロウ)

解説:
不況時代のアメリカ30年代に実在した男女二人組の強盗、ボニーとクライドの凄絶な生きざまを描いたアメリカン・ニューシネマの先駆け的作品で、アカデミー二部門を受賞(助演女優賞エステル・パーソンズと撮影賞)。まるでスポーツを楽しむように犯罪を繰り返す二人の姿は、行いこそ異端であれ青春を謳歌する若者像そのままであり、犯罪者である事すら忘れ奇妙な共感を覚える。近年では、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」などに代表されるアンチ・ヒーロー物のオリジナルであり、他の追随を許さぬ一つの頂点を築いた傑作である。
(allcinema)

あらすじ:
テキサスの小さな田舎町。ウェイトレスのボニーはトラック運転手相手の毎日に飽き飽きしていた。ある日、ひょんなことから刑務所を出所したばかりのクライドと出会う。出会って早々、意気投合した2人。町に出て彼女の前で軽々と強盗をやってのけたクライドに何かを感じたボニー。盗んだ車で一緒に町を逃げ出し、次々と強盗をやっては逃げる刺激的な毎日を楽しんでいたが-


Bonnie and Clyde_1967
経済的繁栄を謳歌していたアメリカ1920年代。
そして農作物余剰による農業恐慌が、その後の大恐慌へと一気に繋がっていった1930年代。
株の暴落により、都市部では多くの会社が倒産し就職できない者や失業者があふれ、深刻なデフレが続く。労働者や失業者による暴動が頻発するなど大きな社会的不安を招いた時代。
仕事のない若者達にとって犯罪は、すぐそこにある生活の糧の一つとも言えた。

そんな時代に出会ったボニーとクライド
それまで2人がどういう毎日を送っていたかは、本作最初のボニーを見れば分かる。
右を見ても左を見ても貧困、貧困、貧困。何もかもに嫌気がさし、ベッドの上でのたうち回るように、自分の中の時限爆弾を抑えている。

ボニーにとってクライドは、そんな生活を忘れることの出来る小粋な男。出所したところだ、と聞いた時にさえ、内心驚いたものの好奇心が優ってしまった。じゃれる子猫のように後をついて行ってしまった。

Bonnie And Clyde_01ボニー・パーカー
テキサス州ローウェナ出身、1910年生まれ。両親と兄妹の5人家族だったが、1914年に父親が死去したため、祖母の家があるダラス近郊の治安が悪いセメントシティーに引っ越す。
学校の成績もよく感想文で賞状を取ったりもしたが、逆上すると手がつけられなくなるという二面性を持つ少女だった。
16才で高校の同級生と結婚したが、その後夫は銀行強盗の容疑で刑務所に入れられる。離婚を考えたが、結局籍はそのままにクライドと1930年に出会うことになる。

クライド・バロウ
テキサス州ダラス近郊のテリコ出身、1909年生まれ。貧しい農家に、8人兄弟の6番目の子として生まれる。忙しかった両親に代わって、姉が面倒を見ていたが、親戚に預けられることもあった。
クライドは、子供の頃から動物虐待を行っている所を近所の住民に目撃されるなど粗暴なことで有名だった。両親は忙しく、躾らしい躾は受けずに成長した。17歳の頃に兄も所属していたギャングに入る。
1926年に自動車窃盗で逮捕。しかし、家族からは警察へ厄介になったことを非難されることも無く、むしろ擁護する態度をとられている。そのため、クライドは友人の家でボニーに出会うまでの4年間に、ダラス近辺で強盗を続けていた。   (Wiki)

クライドにとってボニーは、自分をまっすぐ見つめてくれる、初めて出会った人だ。ギャング仲間に対するような妙な駆け引きも必要無い。親から暖かい愛を受けた覚えが無いクライドにとって、初めての恋人であり、友人だった。


BONNIE AND CLYDE
子供のゲームのように始めた強盗に、殺人が加わったとき、2人は一線を越えた。
そしてクライドの兄バック夫婦やその他の仲間も一緒になって、強盗と殺人を繰り返す凶悪な犯罪者として州をまたいで逃げ回ることになる。
禁酒法と世界恐慌の下にあったアメリカで、人々の憂さを晴らすかのような犯罪を繰り返す彼等は、次第にアンチヒーローとして認識されていく。しかし犯罪者は犯罪者。このようなアンチヒーローの末路が2人にも待っていた。

その最期を含めて、未だに語り継がれ、多くの映画、舞台、ドラマ、音楽となったこの物語は人々に何を訴えかけているのだろうか?
体制。どうにもならない現実。それらを暴力をもってしてでもぶち壊したいという「思い」と重なったのだろうか。

本作は「アメリカン・ニューシネマ」の先駆けと言われる。

アメリカン・ニューシネマ(英: New Hollywood)とは、1960年代後半 – 70年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す日本での名称。
1940年代までの黄金時代のハリウッド映画は、「観客に夢と希望を与える」ことに主眼が置かれ、英雄の一大叙事詩や、夢のような恋物語が主流でありハッピー・エンドが多くを占めていた。
1950年代以降は、スタジオ・システムの崩壊やテレビの影響などにより、ハリウッドは製作本数も産業としての規模も凋落の一途を辿り、その内容も「赤狩り」が残した爪痕などにより黄金時代には考えられなかった暗いムードをもった作品も少なからず現れた。
1960年に入り、国民はヴェトナム戦争への軍事的介入を目の当たりにすることで、自国への信頼感は音を立てて崩れた。以来、懐疑的になった国民は、アメリカの内包していた暗い矛盾点(若者の無気力化・無軌道化、人種差別、ドラッグ、エスカレートしていく暴力性など)にも目を向けることになる。
アメリカン・ニューシネマはこのような当時のアメリカの世相を投影していたと言われる。(Wiki)

アメリカン・ニューシネマ 主な作品

1967
卒業 (The Graduate)
マイク・ニコルズ監督
1968
ワイルドバンチ (The Wild Bunch)
サム・ペキンパー
1969
イージー・ライダー (Easy Rider)
デニス・ホッパー
 
明日に向かって撃て (Butch Cassidy and The Sundance Kid)
ジョージ・ロイ・ヒル
 
真夜中のカーボーイ (Midnight Cowboy)
ジョン・シュレシンジャー
1970
M★A★S★H (M*A*S*H)
ロバート・アルトマン
 
小さな巨人 (Little Big Manh)
アーサー・ペン
 
いちご白書 (The Strawberry Statement)
スチュワート・ハグマン
 
ファイブ・イージー・ピーセス (Five Easy Pieces)
ボブ・ラフェルソン
1971
フレンチ・コネクション (The French Connection)
ウィリアム・フリードキン
 
バニシング・ポイント (Vanishing Point)
リチャード・C・サラフィアン
 
ダーティーハリー (Dirty Harry)
ドン・シーゲル
1973
破壊! (Busting)
ピーター・ハイアムズ

 
スケアクロウ (Scarecrow)
ジェリー・シャッツバーグ
1975
カッコーの巣の上で (One Flew Over the Cuckoo’s Nest)
ミロス・フォアマン
1976
タクシードライバー (Taxi Driver)
マーティン・スコセッシ

強盗しては州を自由に行き来し、警察の車をまくのを楽しむ日々は終わった。
包囲網は徐々に狭まり警察との銃撃戦も増える。兄はその傷で亡くなり、兄の妻も捕まった。
1934年5月。
行方を把握されていた2人は警察の待ち伏せに遭い、ほぼ一方的な銃撃により命を落とす。
そして、この物語は終わった。
後には何も残らない。これは2人の物語だから。

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