スコセッシ、ミステリー、ディカプリオ。どれか一つでも好きなら必ず食いつく作品。それも良質サスペンス。その上、ラストの解釈はいくつもあって、すっきりしない系でまとめられ映画好きを唸らせる。登場人物はどの人も分かりやすいのにねー、一人を除いて(-ω-)
■ シャッター アイランド - Shutter Island – ■
2009年/アメリカ/138分
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:レータ・カログリディス
原作:デニス・ルヘイン「シャッター・アイランド」
製作:ブラッドリー・J・フィッシャー 他
製作総指揮:クリス・ブリガム 他
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:ロビー・ロバートソン
2009年/アメリカ/138分
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:レータ・カログリディス
原作:デニス・ルヘイン「シャッター・アイランド」
製作:ブラッドリー・J・フィッシャー 他
製作総指揮:クリス・ブリガム 他
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:ロビー・ロバートソン
出演:
レオナルド・ディカプリオ(テディ・ダニエルズ)
マーク・ラファロ(チャック)
ベン・キングズレー(コーリー医師)
ミシェル・ウィリアムズ(ドロレス)
エミリー・モーティマー(レイチェル・ソランド)
マックス・フォン・シドー(ナーリング医師)
パトリシア・クラークソン(真実を知る謎の女)
ジャッキー・アール・ヘイリー(ジョージ・ノイス)
イライアス・コティーズ(アンドルー・レディス)
■解説:
マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・ディカプリオの4度目のタッグとなるミステリー・サスペンス。「ミスティック・リバー」の原作者デニス・ルヘインの手によるトリッキーな謎解きスリラーを映画化。精神を患った犯罪者だけを収容する病院が建つ絶海の孤島“シャッター アイランド”を舞台に、ある目的を秘めこの地を訪れた連邦保安官が、次々と直面する謎や職員たちの不審な言動に振り回され、次第に混乱と恐怖に呑み込まれていくさまを、様々な仕掛けと重厚な映像表現でスリリングに描き出していく。共演は「ゾディアック」のマーク・ラファロ、「砂と霧の家」のベン・キングズレー、「ブロークバック・マウンテン」のミシェル・ウィリアムズ。■あらすじ:
ボストンの遥か沖合に浮かぶ孤島“シャッター アイランド”。そこに、精神を患った犯罪者を収容するアッシュクリフ病院があり、厳重な監視の下に運営されていた。ところが1954年9月、レイチェルという女性患者が忽然と姿を消してしまう。事件を調べるため、連邦保安官のテディが新たな相棒チャックと共に島を訪れる。折しも、激しい嵐が近づいており、捜査の行方に不安がよぎる。さっそく2人は、患者たちへの聞き込みを開始するが、テディは事件と無関係な“アンドルー・レディス”という人物についての質問を繰り返す。実はその人物は、アパートに火をつけ最愛の妻ドロレスを殺した放火魔で、テディはレディスがこの病院に収容されていると知り、その行方を探っていたのだ。そして、レディスへの復讐こそが、テディがこの島へやって来た真の目的だったのだが ―
(allcinema)
シャッターアイランド ―
この閉ざされた島で非人道的な実験が本当に行われているのか?そして愛する妻を殺した男は、本当にここにいるのか?
島のミステリーや主人公テディの過去が次第に暴かれていく・・っていうストーリーでありながら、その土台からして大きく食い違い、ラスト近くまで、そしてラストまで観終えたとしても、まだ謎が残ったまま、という、観る人によってストーリーが違うものになる見事なお話。
ここで改めてストーリーをお話ししても、観た人にとっては記憶が塗り替えられるかもしれないし、観てない人にはお節介という事で、今回は書かないでおこう。
本作の主人公テディは連邦保安官なのだが、暴力的な男である。初めて登場する時からしておでこにテープを貼っていて、誰かとどこかで喧嘩でもしたのかな、という風情。かといって、粗野な男というわけではなく、妻子を愛し、仕事を愛し、友人を愛する人情に厚い正義感のある警官なのである。
時は1950年代。第二次世界大戦終結しばらくしてからの頃。
彼はヨーロッパ戦線でナチス収容所発見の現場に居合わせた。ナチス自体が敗走を始めていた時でもあり、収容所は半ば捨て置かれた墓場のようであった。それを見て平気でいられる人がいるだろうか?こんな事をしでかした奴らを捕虜にして裁判にかける?誰かの1発が引き金になり、収容所に残っていたドイツ兵を殺戮、自決を失敗したナチス高官が苦しむ様を捨て置いたテディら。
酷いことをしたヤツだから、酷い目にあってもいいんだ、という考え方。
これをいくら自分に言い聞かせても、テディは何度も何度もそれらのシーンが苦しさとともに頭に蘇る。罪も無い人々の積み重ねられた死体とナチスの殺される様。
彼のトラウマはこれだけではなかった。
愛する妻が放火によって殺されたのであった。
その犯人の居場所がわかったなら?
刑務所じゃなく精神科病院に入れられていたとしたら?
復讐したい、と考えるのは誰しもあることだろう。それが、たまたま仕事と重なってその病院に行くことになったとしたらどうするか?
だからといってテディを暴力的だと簡単に決めつけることは出来ないのでは?
前半は脱走したらしい女性患者の捜査。だが後半になると何故か追い詰められていく2人の保安官。それはこの病院によくない秘密があるからのようだが、それはテディも同じ事。彼にも妻を殺した犯人に復讐するという目的があった。テディが追い詰められているのではなく、「殺したい」という気持ちと、過去のトラウマから来る「殺人」に対する恐怖で苦しめられていたのだ。
「殺人」に対する恐怖 ―
彼のトラウマはこれだけですら無かったのだ。
人は誰しも色々な記憶とともに生きているが、その記憶が必ずしも正しいとは限らない。そしてもちろん、忘れている事もたくさんある。だが人は、その記憶を元に「自分」というものを作り上げていき、日々新しい記憶でより堅固に、もしくは一部の書き換えを行っていく。それをアイデンティティとするならば、もし間違って「記憶」していたならばどうなるのか。
だが、それが「人」なのである。その曖昧さやアバウトなところも含めての「自分」なのである。自分の経験全てを完璧に記憶するなんてことは無理なこと。
私などよくあるのだが、かなりの長期間やっていた事でさえ、終了して次の新しい事を始めてしまうと前のアレはいったい、本当にあったことなのだろうか?とまるで夢見る夢子さんみたいになる。忘れっぽいというのか、飽き性というのか、都合がいいというのか、時間をかけて一生懸命作り上げたものを、いとも簡単に崩してしまうことは結構平気で、終わった後は次の新しいものを始めたい性分である。
だからテディみたいに苦悩することもないと思うが、反対に周りの人間全員に「あなたは本当はこんな人で、こんな事をやってきたんだよ。証拠はこれ」ってやられたら、案外すぐに信じてしまうかも..(-.-)
で、本作のラストをどう思うか?
「モンスターのまま生きるか、善人として死ぬか」
テディはきちんと答えを用意してくれていた。
彼にとってどの記憶が正しかろうと、自分がモンスターであることには変わりはなかったのだ。戦争体験、妻の苦しみを無視したこと、それにより引き起こされたこと・・・。それらの記憶とともに生きるということは、モンスターであることを続けていくことに他ならない。手術を受けるということは全ての記憶をなくし、さまよえるゾンビとなること。
んーー、これで本当に救われるのか…?
ラストの彼には清々しささえ感じられたけど、どうなんだろうね・・・