女達は井戸に何を捨てたのか
■女と女と井戸の中 -The Well-■
1997年/オーストラリア/110分
監督:サマンサ・ラング
脚本:ローラ・ジョーンズ
原作:エリザベス・ジョリー
製作:サンドラ・レヴィ
製作総指揮:モーリーン・バロン他
音楽:スティーヴン・レイ
撮影:マンディ・ウォーカー
出演:
パメラ・レイブ(ヘスター)
ミランダ・オットー(キャサリン)
ポール・チャッブ(ハリー)
■解説:
荒涼としたオーストラリアの田舎を舞台に、女性二人の愛憎、葛藤を、寓話的に描いた一編。監督はこれが長編第1作となる女性、サマンサ・ラング。製作はサンドラ・レヴィ。脚本は「ある貴婦人の肖像」のローラ・ジョーンズ。原作はエリザベス・ジョリー。オーストラリア・アカデミー賞主演女優賞、脚色賞、美術賞を受賞。(キネマ旬報)
■あらすじ:
オーストラリアの人里離れた荒野で農場を営んでいる足の不自由な中年女性ヘスター。長い間、高齢の父親の面倒もみており、結婚もしそこねた。人との触れあいは週に一度訪ねてくる仲介業者のハリーだけという日々だった。
そんな毎日に新しく雇った若い家政婦キャサリンがやって来る。徐々に心を開き、若い娘に複雑な感情を持ち始めたヘスター。父親が亡くなり、遺産を相続したヘスターはキャサリンと面白おかしく過ごす毎日を夢見るが-
最近の映画でジョージ・クルーニー主演『ヤギと男と男と壁と -The Men Who Stare At Goats-(2009)』という作品があったが、このなんとも不思議なタイトルを見たとき、真っ先に頭に浮かんだのが本作『女と女と井戸の中』。日本向けタイトルのセンスに惹かれて以前観賞したことを思い出し、録画して大事にとっておいたものを再度観てみた。
登場人物の一人 中年女性ヘスター。
彼女は片足が不自由で内向的。人里離れた広大な牧場で、父親と住み込みの家政婦モリーとの3人だけの生活だ。化粧っけもなく服装も地味。家にはテレビもなく、俗世間とはほとんど触れることはない。聴く音楽はクラシックで、まるで100年も前の女性のようだ。
そこへ、今時の若い娘キャサリンが住み込みの家政婦として雇われる。
最初はきちんと仕事が出来ないキャサリンにいらいらしていたヘスターだったが、天使のような歌声を持ち、踊るキャサリンに徐々に心を開き、惹かれ始める。ヘスターにとってそれは、妹のようであり、娘のようであり、こうあって欲しかった、自分の無くした少女時代の幻のようであった。
少女のように屈託のないキャサリン
親を亡くし施設にいた娘。ヘスターに家政婦として引き取られるが、まるで路地で泣いていた小さな子猫が拾われてきたようだ。足音をしのばせヘスターの部屋を探検し、雨が降れば無邪気に喜ぶ。ブロンドの髪は天使の羽根のようにひらひらしてヘスターの目を奪う。おとぎ話の主人公のよう。
そんな彼女が夢物語を本当のことのように語るのなんかはお手のもの。
ヘスターは家政婦を手に入れたのか?妹を手に入れたのか?いった何を家に連れ帰ったのか?
彼女は片足が不自由で内向的。人里離れた広大な牧場で、父親と住み込みの家政婦モリーとの3人だけの生活だ。化粧っけもなく服装も地味。家にはテレビもなく、俗世間とはほとんど触れることはない。聴く音楽はクラシックで、まるで100年も前の女性のようだ。
そこへ、今時の若い娘キャサリンが住み込みの家政婦として雇われる。
最初はきちんと仕事が出来ないキャサリンにいらいらしていたヘスターだったが、天使のような歌声を持ち、踊るキャサリンに徐々に心を開き、惹かれ始める。ヘスターにとってそれは、妹のようであり、娘のようであり、こうあって欲しかった、自分の無くした少女時代の幻のようであった。
少女のように屈託のないキャサリン
親を亡くし施設にいた娘。ヘスターに家政婦として引き取られるが、まるで路地で泣いていた小さな子猫が拾われてきたようだ。足音をしのばせヘスターの部屋を探検し、雨が降れば無邪気に喜ぶ。ブロンドの髪は天使の羽根のようにひらひらしてヘスターの目を奪う。おとぎ話の主人公のよう。
そんな彼女が夢物語を本当のことのように語るのなんかはお手のもの。
ヘスターは家政婦を手に入れたのか?妹を手に入れたのか?いった何を家に連れ帰ったのか?
この2人の登場人物ヘスターとキャサリンはこれでもかというほど、対比させて描かれている。
背の高いヘスター ←→ 低いキャサリン
ダークブラウン長い髪のヘスター ←→ ブロンド短髪のキャサリン
低い声のヘスター ←→ 高い声のキャサリン
古いズタ靴のヘスター ←→ おしゃれなブーツのキャサリン
足をひきずり一歩一歩歩くヘスター ←→ 舞うように踊る裸足のキャサリン
ヘスターにとってキャサリンは、少女の頃大事にしていたキラキラの宝物のようだ。
少女の宝物というのは、自分だけの物であり、自分だけのために存在する物であり、他の何物にも代えられない。
それを無くすことは耐え難く、自分の一部がちぎれて無くなることにも匹敵する。
広い荒野と奇岩、年老いた父親だけが背景の毎日に飛び込んできた宝物。ヘスターはキラキラ光るそれを今度こそ何に代えても決して無くしたくないと思ったことだろう。
対してキャサリンはどう思っただろうか。
今までは施設に入れられ、閉じ込められたような毎日にうんざりしていただろう。それでも友達や音楽や楽しみはあったはず。ヘスターに雇われ急に生活環境は変わったが、その中で楽しみを見つけることは出来ただろうか。順応力はありそうだが、人に媚びることに慣れており何にでも興味を持つ若いキャサリン。それをヘスターはいつまで我慢できただろうか。
本作は最初から終わりまで、映像がブルーがかったものに調整されている。
この「ブルー」という色は心理学的には
・平和とコミュニケーション
・興奮を抑える
・ぐっすり眠りたい時
・食欲減退
などに効果があるそうだ。
プラスイメージとしてのもので「さわやか、涼しさ、幸福、活発、冷静、知的、誠実、信頼」となる。
が、反対に気分が落ち込む事を「ブルーになる」などとも表現する。人がブルーに目がいくときは
・何かを抑圧しているとき
・一人で抱え込んでいるとき(責任、ストレス、怒りなど)
・自信を付けたいとき
などだそう。これらはマイナスイメージで「憂鬱、孤独、未熟、保守的、冷淡、義務、切ない、消極的」となる。
この相反するイメージがブルーには詰め込まれている。
そしてこの作品『女と女と井戸の中』の2人の登場人物は、まさしくこのブルーのイメージが象徴するものを持ち、その中を右往左往することになる。決してオレンジ(活気、家庭、攻撃)や赤(華やか、女性、暴力、興奮)ではない。
では、ヘスターがマイナスイメージで、キャサリンがプラスかといえば、そんな単純に分けられるものではなかった。
保守的で孤独だったヘスターの未熟さが暴露されたとき、未熟で活発なキャサリンの冷淡さが暴かれたとき、この物語は一つの終わりを迎える。「一つの終わり」と表現したのは、この物語はまだ続いていくからだ。今までにない自分を知ったとき、2人は別々の人生を歩むことになるが、それは決して「幸せ」と「不幸」に分けられたわけではない。
生活の糧を失ったヘスターが最後に見せる表情には、これからの新しい人生が開かれている。対して若いキャサリンはどうだったか。今まで見たこともないような大きなものを手に入れたが、その顔には不安がへばりつき、口から出る言葉には誠実さのかけらも無い。
女と女と井戸の中-。
2人の持っていた大事なものを放り込んで捨てた先は「井戸」であり、隠された未来が眠っていたのも「井戸」であったのだ。
ではまた