製作総指揮がイライジャ・ウッド吸血少女ものホラー。といってもソコが押しの作品ではなく、若者を抑圧する奇妙な世界からの逃避行が主題。(はっきり言うと)ちょっと眠たくもあるけれど、独特の雰囲気と世界観は嫌いでは無かった(-ω-)
■ ザ・ヴァンパイア ~残酷な牙を持つ少女~ - A Girl Walks Home Alone at Night – ■
2014年/アメリカ/99分
監督・脚本:アナ・リリー・アミールポアー
製作:シーナー・サッヤフ 他
製作総指揮:イライジャ・ウッド 他
撮影:ライル・ヴィンセント
2014年/アメリカ/99分
監督・脚本:アナ・リリー・アミールポアー
製作:シーナー・サッヤフ 他
製作総指揮:イライジャ・ウッド 他
撮影:ライル・ヴィンセント
出演:
シェイラ・バンド(少女)
アラシュ・マランディ(アラシュ)
マーシャル・マネシュ(ジャッキーホセイン)
モジャン・マーノ(娼婦アッティ)
ドミニク・レインズ(サイード)
ミラド・エグバリ(浮浪児)
ロメ・シャダンルー(王女シャエダフ)
レザ・セィクソ・サファリ(ロカビリー)
■解説:
女性の新鋭監督によって史上初めてイランを舞台にペルシャ語で撮影されたヴァンパイア映画として世界的に注目を集め、各地の映画祭で数々の賞に輝いた異色のスタイリッシュ・ホラー。イランの架空の町を舞台に、吸血鬼として生きる一人の少女の葛藤と、その正体を知らずに恋に落ちた青年の運命を、美しいモノクロ映像で描き出す。主演は「アルゴ」のシェイラ・ヴァンドとドイツ出身のアラシュ・マランディ。監督はこれが長編デビューのアナ・リリー・アミールポアー。■あらすじ:
イランのとある町“バッド・シティ”。ネコを愛する真面目な青年アラシュ。コツコツ働きようやく手に入れた愛車を、父がつくった借金のカタに取り上げられてしまう。相手は麻薬の売人サイード。車を返してもらおうと彼の家へ向かったアラシュだったが、そこで彼が見たのは無惨に殺されたサイードの死体だった。愛車を取り戻したアラシュは、やがて一人の少女と出会い、恋に落ちるのだったが ―
(allcinema)
ありきたりな感想になるのだけれど、これは中東の世界で抑圧されている“少女”という存在に、“牙”という武器を持たせて戦わせ、明るい未来の礎ともなる青年と一緒に自由の世界へ逃避行させる、という物語。
架空都市が舞台なので、少女側はイスラム的でありながら、青年アラシュの環境は薬物にまみれたアメリカ的に見える。そのどちらもが若者を蝕み、将来に希望を持てない世界に描いているのが本作の特徴だ。
少女の知り合いである娼婦は年齢を偽り、かつて持っていたはずの希望を追うことも、希望を持つことすら忘れてしまった哀しい毎日を送る。青年の父親は妻に見捨てられ薬物に溺れ、息子に迷惑をかける毎日。彼女ら、彼らの未来像とも言わんばかりだ。
だが、この新旧時代の二人が出会い、新しい未来を目指して出発する。
――というのはあらすじで、これだけ読むと何やら小難しいモノに感じるが、作品はモノクロで作られ、そこここに描画される不思議な世界が舞台となる。中でも吸血鬼少女の衣装が目を惹くものの、実は中には今流行のボーダーのTシャツにパンツを着ている。青年アラシュはジーンズにGジャンを羽織り、車はスポーツカー。まるでオードリー・ヘプバーンとジェームス・ディーンだ。
そんな主人公たちの住む世界は何とも不気味で、各時代、各国、色々な設定が混ぜ込まれているのは間違いない。その中でも時々映る奇妙な光景の合間に挟み込まれる干上がった川。これをよくよく見ると人の死体が無造作に投げ込まれている。その横を青年は猫を抱いて通り過ぎる。
少女が吸血するシーンよりもよっぽど怖い。
それらに合わせて流される音楽は、エキゾチックでありながらクラシックなアメリカ風でもあり、奇妙なものも含めてとても心地よく、彼らに似合っている。
モノクロの吸血鬼モノということで、あらゆる場面の陰影に期待したが、この作品の陰影は、吸血鬼やおどろおどろしいモノを表現するというよりも、新旧の時代を同時に表わすことに使われているのかな、と感じた。そういった意味で、以前に感想を書いたカール・テオドール・ドライヤー監督の『吸血鬼(1931)』は非情に秀逸なモノクロ版吸血鬼作品と言える。
カラー作品に比べて、より想像力が働くモノクロ作品は好きなタイプだ。
・・・と、色々書きましたが、これはホラーということですから、いつものように、らしい画像を置いときますね(・∀・)、小さく