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明治35年に起きた「八甲田雪中行軍遭難事件」を元にした小説「八甲田山 死の彷徨」を映画化した作品。10代の頃から何度か観てきたが、その時々で少しずつ感想が変わるものの、何かが大きく胸を打つ作品であることには変わらない。

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■ 八甲田山 ■
1977年/日本/169分
監督:森谷司郎
脚本:橋本 忍
原作:新田次郎 「八甲田山 死の彷徨」
製作:橋本 忍 他
撮影:木村大作
音楽:芥川也寸志
 
出演:
<弘前第八師団>
島田正吾(友田少将/第四旅団長)
大滝秀治(中林大佐/参謀長)
<弘前歩兵第三十一連隊>
丹波哲郎(児島大佐/連隊長)
藤岡琢也(門間少佐/第1大隊長)
高倉 健(徳島大尉/第1大隊第2中隊長)
前田 吟(斉藤伍長)
渡会洋幸(徳島の従卒)
<青森歩兵第五連隊>
小林桂樹(津村中佐/連隊長)
神山 繁(木宮少佐/連隊本部)
森田健作(三上少尉)
北大路欣也(神田大尉/第2大隊第5中隊長)
緒形 拳(村山伍長)
下条アトム(平山一等卒)
<雪中行軍随行大隊本部>
三國連太郎(山田少佐/第2大隊長)
加山雄三(倉田大尉)
<案内人、他>
秋吉久美子(滝口さわ/宇樽部村)
山谷初男(沢中吉平/熊ノ沢部落)
丹古母鬼馬二(福沢鉄太郎/熊ノ沢部落)
加藤 嘉(作右衛門/田茂木野村・村長)
花沢徳衛(滝口伝蔵/宇樽部村)

解説:
「小説吉田学校」「日本沈没」の森谷司郎監督が、高倉健を主演に、壮大なスケールで描いたドラマ。

 
あらすじ:
明治34年末、日露戦争を目前にして陸軍は寒冷地教育の不足を痛感していた。ロシア軍と戦うためには雪中行軍をして、雪とは何か、寒さとは何かを知らねばならなかった。その行軍の目標となったのが生きては帰れぬ冬の八甲田であった ―

(allcinema)


日露戦争に備えるための雪中行軍が悲劇の結果を迎えた「八甲田雪中行軍遭難事件」。
所属の違う2つの連隊からそれぞれ行軍隊を結成し決行。1チームは弘前歩兵第三十一連隊の精鋭27名。もう1チームは青森歩兵第五連隊。こちらも当初は少数で行くはずであったのが、最終的には210名もの大所帯に。
 
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この2チームがそれぞれ弘前、青森から出発し「八甲田ですれ違う」というイベントが用意されたため第三十一連隊は240kmもの行軍を敢行することになる。それに比べて第五連隊は約50kmの行程予定であったが、それではバランスが取れないからと行軍隊人数を増員することでバランスを取ったと作品内では説明された。が、史実では日程を初め、お互いの雪中行軍予定を知らずに計画は立てられ、たまたま同じ頃に決行されたに過ぎなく、この辺りは小説、映画の脚色となる。
 
映画では、それぞれの行軍隊を率いる徳島大尉(第三十一連隊)と神田大尉(第五連隊)の関係もクローズアップされるが、こちらも脚色である。だがドラマとしては、ただ軍の命令に従うためだけに苦しい雪山を行軍するだけではなく、この困難な演習を受けた者同士が八甲田ですれ違い、労をねぎらう事を楽しみの一つにするというのは、より人間らしい。
だが実際は違う。
彼らは次の戦争を勝ち抜くために軍の上層部が決定したことに従った。忠誠心と勝利を胸に。
 
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この行軍が行われたのは明治35年(1902年)1月。
よくよく考えてみると、江戸時代から明治に変わってまだ35年しか経っていない。映画を観ていて、吹雪の中、道に迷い、いよいよ「遭難」となってきた場面で、「ヘリに助けてもらえば・・」などと考えてハッとなった。まだ無いんだ、と。ヘリどころか航空機さえ使われていない(日露戦争では“気球”が偵察に使われた)。
 
当時は海軍と陸軍が戦力であり、陸の移動は基本「足」なのだ。行軍で移動させるのは人間の身体だけではない。大砲などの武器、兵糧、部隊設営のための道具等々、多くの荷物がある。今回の雪中行軍は演習であるため多くの武器は必要ないが、それでも兵糧や最低限の道具等が必要になる。だから当初は両チームとも少数での行軍を計画した。だが諸々の事情により青森歩兵第五連隊は210名もの大人数となり、結果、命令系統、隊の纏まり、移動速度、荷物の多さ等に影響が出た。また、第五連隊の道程にまれにみる悪天候という悪条件が重なる。だが何よりも隊には冬の雪山の本当の恐ろしさを深く知る者がほとんどいなかったのである。
 
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12日間の予定で出発した第三十一連隊は案内人の力も借りて当初の予定より2日延びたものの、全員無事に行軍を完了した。3日間の予定で出発した第五連隊は行軍初日に天候悪化、2日目に帰営を決定するも道を見失い遭難となる。参加した210名中、199名死亡(うち6名は救出後死亡)。生存者11名もひどい凍傷に後々まで苦しんだ。
 
彼らの死は、この後の厳冬期軍装や戦術に活かされ、日露戦争では勝利へと導く。けれども無事行軍を遂行した第三十一連隊の徳島大尉をはじめとする部隊は、日露戦争で戦死。作品最後のこの字幕を見て、私は力が抜けてしまった。思わず溜息が出た。
 
彼らは靖國神社に合祀されている。
 
  八甲田雪中行軍遭難事件
 

軍歌「雪の進軍」 作詞・作曲/永井建子
雪の進軍 氷をふんで
どれが河やら 道さえ知れず
馬はたおれる 捨てても置けず
此処は何処ぞ 皆敵の国
ままよ大胆 一服やれば
頼み少なや 煙草が二本
 
焼かぬ乾物に 半煮え飯に
なまじ命の あるそのうちは
堪え切れない 寒さの焚火
烟いはずだよ 生木が燻る
渋い顔して 功名談
スイと言うのは 梅干ひとつ
 
着のみ着のまま 気楽なふしど
背嚢枕に 外套かぶりゃ
せなの温みで 雪解けかかる
夜具の黍殻 しっぽり濡れて
結び兼ねたる 露営の夢を
月は冷たく 顔のぞき込む
 
命捧げて 出て来た身故
死ぬる覚悟で 突喊すれど
武運拙く 討死せねば
義理にからめた 恤兵真綿
そろりそろりと 頚締めかかる
どうせ生きては 還らぬつもり

 

 

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コメント

コメント一覧 (3件)

  • そうなんですよね。
    連隊本部の様子は今に通じるものがあって(足りないものはエアコンとモニタぐらいでしょうか)、日本の急速な近代化と日本人の順応性に驚きました。
     
    今から35年前だと、、
    やはり大きな違いは進化した電化製品とインターネット環境なのかな、と想像します。それと仰るように終身雇用制ですね。
    今は便利な時代にはなりましたが、ネットと情報機器が無ければ情報は得られず。かと言って情報の多さに振り回されて自分で取捨選択しなくてはならない。
    昭和の時代の単純さが羨ましく思うこともあります。
    ホントにもっと遡って江戸時代もいいですよね。

  •  作品の主題から大きく外れたコメントになりますが、けっこう明治35年は現代的でしょう。連隊本部にはデスクがあり電話があり、今の役所の風景と基本同じです。
     江戸時代からたった35年しか経っていない、という事が衝撃です。この激変は凄いですね。
     
     今から35年前といったら私が中学に上がった時ですが、あまり時代は変わっていないように・・、いや、やっぱりそこそこ変わってますね。
     夏になったら普通に浴衣を寝間着として着ていましたが、今では夏祭りの「正装」でしょう。
     学級はどこもかしこも人数多くて、今みたいに空き教室なんか無かったし、終身雇用制のおかげで40年先の未来もガッチリ決まっていて「会社の奴隷」になってたまるか、成り上がってやる、と思っていましたが、今は「終身雇用制」で40年先の人生設計までできるなんて素晴らしい、今は半年先すら闇や。
     
     江戸時代の泰平が変化が無くて良かったのかな? なんて思います。

  • 「八甲田山」 自分に喝を入れたい時に〔4〕

    「八甲田山」 遭難モノ映画の秀作
     
     
     
    【公開年】1977年  【制作国】日本国  【時間】169分  【監督】森谷司郎
    【原作】新田次郎
    【音楽】芥川也寸志
    【脚本】橋本忍
    【言語】日本語 一部津軽方言
    【出演】高倉健(徳島大尉)  北大路欣也(神田大尉)  加賀まりこ(徳島妙子)  栗原小巻(神田はつ子)  三國連太郎(山田少佐)  東野英心(伊東中尉)  島田正…

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