Les Misérables_02s
「Who am I?」何度も自分に問いかける。「私は誰だ?何者だ?」素性を隠して生きる男が何度も自分に確認する。自分を一番知っている者は「自分」。その自分の行動を一つ残らず見ている者も「自分」。逃げることが出来ない自分に、恥ずかしくない、誇れる道を行くことが、この男の生き方となった。「私はジャン・バルジャン」

■レ・ミゼラブル – Les Misérables -■

2012年/イギリス/158分
監督:トム・フーパー
脚本:ウィリアム・ニコルソン、アラン・ブーブリル 他
原作:小説/ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」
  :ミュージカル/アラン・ブーブリル、クロード・ミシェル・シェーンベルク
製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、デブラ・ヘイワード 他
制作総指揮:ライザ・チェイシン、アンジェラ・モリソン 他
撮影:ダニー・コーエン
音楽:クロード・ミシェル・シェーンベルク
出演:
ヒュー・ジャックマン(ジャン・バルジャン)
ラッセル・クロウ(ジャベール)
アン・ハサウェイ(ファンティーヌ)
アマンダ・セイフライド(コゼット)
エディ・レッドメイン(マリウス)
サシャ・バロン・コーエン(テナルディエ)
ヘレナ・ボナム=カーター(テナルディエ夫人)
サマンサ・バークス(エポニーヌ)
ダニエル・ハトルストーン(ガブローシュ)
アーロン・トヴェイト(アンジョルラス)

解説:
日本を含む世界中で愛され続ける空前の大ヒット・ミュージカルを、豪華キャストを起用し圧倒的なスケールでスクリーンへと昇華させたミュージカル超大作。出演はジャン・バルジャン役にヒュー・ジャックマン、彼を執拗に追い続ける宿敵ジャベール警部にラッセル・クロウ、そのほかコゼット役にアマンダ・セイフライド、その母ファンテーヌにはアン・ハサウェイ。監督は「英国王のスピーチ」でアカデミー監督賞に輝いた英国期待の俊英トム・フーパー。

あらすじ:
19世紀のフランス。1本のパンを盗んだ罪で投獄され、19年間を監獄の中で生きたジャン・バルジャン。仮出獄した彼は再び盗みを働いてしまうが、司教の優しさに触れ、心を入れ替えると決意する。過去を捨て、マドレーヌと名前も変えながらも正しくあろうと自らを律して生きていくバルジャン。やがて市長にまで上り詰めるが、法に忠誠を誓うジャベール警部に自らの正体を見破られ逃亡を余儀なくされる。その一方で、薄幸の女性ファンテーヌから託された彼女の娘コゼットに深い愛情を注ぎ、美しい女性へと育てていくバルジャンだったが-
 (allcinema)

Les Misérables:悲惨な人々、哀れな人々


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見どころと感想

子供の頃に読んだ記憶のある「あぁ、無情」。機会があれば一度は観たいと思っていた「レ・ミゼラブル」は結局今まで観ずにきてストーリーもはっきりとは覚えていなかった。今回ようやく映画版を観ることができ、色々と考えさせられた(ようするに感動した ←はっきり言えばいいのに)。

ジャン・バルジャンがパン1個で19年の投獄生活を終えて、ようやく仮出獄したのが1815年。出所はしても仮釈放であるため警察による監視はずっと続き、勝手にその地を離れられないなどの規定がある。長い間の獄中生活ですっかり人を信じられない、やさぐれた人間になってしまっていたバルジャンは、規定を無視して逃亡の旅へ。途中、食事を恵んでもらった教会の銀器を盗んで逃げたが、彼を咎めないばかりか、「この最も価値のある燭台も持って行きなさい」と、まるで「右の頬を打たれたら左の頬もさし出す」の精神で温情を持って接してきた司教に感銘を受けて「人」として再び生まれ変わった彼。

バルジャンは人として扱ってくれた司教の態度に「恥ずかしさで胸がはりさけそうだ」と歌う。こうして彼は盗人で下を向いて奴隷のように生きてきた「ジャン・バルジャン」の世界から抜け出すことが出来たのだった。

パン1個で20年の刑を言い渡される時代。
19世紀初頭のフランスとは

1789年フランス革命。政治的混乱ののち、1799年にブリュメールのクーデターによってナポレオン・ボナパルトが共和国の権力を握って第1統領となり、やがて皇帝に即位して第一帝政(1804年~1814年)を開いた。
1815年にナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた後、フランスは王政復古したが、王の権力は憲法に制約されていた。1830年、7月革命によって立憲君主制による7月王政が立てられた。この王政は1848年の2月革命によって終わり、第二共和政に移行する。

7月王政:オルレアン家のルイ・フィリップを国王とした立憲君主制の王政。典型的なブルジョワ支配体制で、貴族制の廃止や世襲制の廃止などが実行される一方で、選挙権保持者は前代の復古ブルボン朝に比べ倍増したもののそれでも全国民の0.6%しかいなかった。労働者は無権利に等しく、彼らを抑圧する形で産業革命がフランスで進行する。しかし、普通選挙を求める声が次第に高まり、それが2月革命のきっかけとなった。

作品冒頭に「下を向け、下を向け」と歌いながらバルジャン達囚人が引いているのは、このワーテルローの戦いで使われた船かもしれない。折れて落ちたマストに付いたままのフランス国旗を、ジャベールの命令で拾い上げるバルジャンの剛力さもここで説明されている。
ちょっとした罪で投獄される人々は、こういった戦争の後方支援として奴隷のように働かさせるためだったのか。

厳しい生活を余儀なくされたのは男性だけではない。女性も子供も普通の民衆はその日暮らしで、今日の仕事が無ければ明日が食べられない毎日。それはファンテーヌが登場する1823年頃も変わらずで、着の身着のまま、寝る場所も無いような人々がパリの町にあふれていた。
そんな時代に過去を隠し名前を変えて市長の座についたバルジャン。ファンテーヌとの出会いでまた大きく人生が変わる。

一方、警察官ジャベール。刑務所勤めからの因縁でバルジャンを追う彼だが、決して非道の人ではない。どこまでも職務に忠実で、人に厳しく、自分にも厳しい。「白と黒」しかない精神の持ち主だが、バルジャンに命を助けられたことにより、その堅い考え方に亀裂が入る。
借りを返さなくては落ち着かない性格と、追っているバルジャンを見逃すという職務放棄の間で、彼は思わず悩み、落としどころも見つけられずに、自らを罰する道をとった。

本作の登場人物はみな生き方に1本筋が通っているが、なかでも一番太くどこまでも曲がらない物を持っているのがこのジャベールだ。ジャベールは仕事、ファンテーヌは娘。バルジャンは「自分」。
自分に恥じない生き方をしようと決意したバルジャンは、その通りに努力し市長にまでなり民衆のために毎日を過ごす。しかしコゼットを引き取ることになり、その生き方は全て「コゼットを育て上げる」ことに集中するようになる。そのあまりに、コゼットの自由まで奪うことになっていることに気付かない彼。
1832年。7月革命から2年が経っていたが、いまだ民衆は仕事が無く飢えている。そういった事にも目をやらず、コゼットのためにジャベールから逃れ隠れ住むバルジャン。そして思いもかけず民衆の不満の荒波に身をさらすことになったのは、他でもないコゼットが原因だった。

作品冒頭で「下を向け」と歌っていたのは囚人だったが、ここで「下を向け」と歌うのは民衆で、馬車に乗る資産家に向けて歌われている。民衆の不満は爆発寸前で、学生と労働者達が組織する「ABC(ア・ベ・セー)の友」が隆起の時を迎えていた。
1830年の7月革命同様、バリケードを築き町を封鎖しようとした学生達。若者達にあるのは大義のみ。守るべき家族や財産があるわけでは無く、明日の暮らしを悩むことも無い。労働者である男達や町の女性達も一緒になって戦ってくれるはずだったが、家族を守る必要のある大人達に見捨てられた。

バルジャンもその大人の一人であったが、コゼットを愛し守ってくれるべきマリウスの命を守るため、この戦いの場に赴くことになる。大志を抱いた純粋な学生達に反して、バルジャンのそれは動機が違うが、これが彼の背負った宿命だった。

背負った宿命を全うし、後悔すること無く誇りをもって神に召されたジャン・バルジャン。
自分が本作で一番感動したのは最後のシーンで、肩の荷が無くなったバルジャンが初めて民衆達に目を向ける。ずっと眉間に皺を寄せていた彼が笑顔の晴れ晴れとした様子で見下ろした先には、フランス国旗をはためかせながらパリを行進する人々がいる。その中にはあの学生達の姿も。
ジャン・バルジャンはやっと市民の一人になった。
市民とは、「自由、平等、友愛」の権利を有する人々のことである。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • ミュージカル『レ・ミゼラブル』(新演出版) 博多座公演

    今、この8月の間(8/3~31)、福岡にある博多座劇場でミュージカル『レ・ミゼラブル』が公演されています。
     
     
    ヒュー・ジャックマン主演の2012年版の映画『レ・ミゼラブル』を観て

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