『ベルフラワー』(2011) - Bellflower –

何にも縛られない未来ある普通の若者たち。自由を手にしていながら、全てが破壊された未来を妄想し、火炎放射器でなおも全てを焼き尽くしたいと願う矛盾。「自由」であるということは「責任を持つ」ことと表裏一体だ。彼らの一人ウッドローは自由を捨て「恋=束縛」の世界に身を置いたが、それは長く続かなかった-

Bellflower_2011
■ベルフラワー - Bellflower -■
2011年/アメリカ/107分
監督・脚本:エヴァン・グローデル
製作:エヴァン・グローデル、ヴィンセント・グラショー
撮影:ジョエル・ホッジ
音楽:ジョナサン・キーヴィル
出演:
エヴァン・グローデル(ウッドロー)
ジェシー・ワイズマン(ミリー)
タイラー・ドーソン (エイデン)
レベッカ・ブランデス(コートニー)
ヴィンセント・グラショー(マイク)

解説:
若手映画人の登竜門サンダンス映画祭など、世界中の映画祭で大反響を呼んだ話題作。監督・脚本・主演・製作・編集のE・グローデルは1980年生まれの新鋭で、自身の失恋体験を本作の下敷きにしたという。彼と仲間たちは少ない財産をすべて注ぎ、登場する火炎放射器付き改造車も監督と仲間たちが実際に製作。とはいえ、でき上がった作品はバイオレンスやアクションといった見せ場は控えめで、むしろ失恋して絶望していく主人公の気持ちに迫るもの。そこが同様の経験を持つ世界中の男性観客の共感を呼んだのだろう。 (WOWOW)

あらすじ:
幼馴染みのウッドローとエイデンは「マッドマックス2」の悪役ヒューマンガスに憧れ、火炎放射器制作や車の改造に日々過ごしている。そんなある日、バーで出会ったミリーと恋に落ちたウッドロー。激しく燃えるような恋に身を投じた2人だったが、ミリーの浮気現場を目撃してしまったウッドローは、家を飛び出し事故に遭ってしまう-


Bellflower_2011ビールを右手に、ウィスキーを左手に。
ここはLA郊外のベルフラワー通り。酒を飲んでいるか、機械いじりをしているかの2人の若者、ウッドローとエイデン。世紀末の世界に憧れ、あのヒューマンガスのように、「マッドマックス」の登場人物のように、改造車で走り回り火炎放射器で町を焼く世界を夢想する2人。中学生が見るような夢をいつまでも持ち続け、軍放出品を扱う店に通い部品を集める。2人は無職だからなけなしのお金は全てそれらと酒に消える。それでも充実した毎日を送るこの2人は、もう立派な大人の年だが現実から目をそらしているように見える。

こんな2人だが、悪事を働くチンピラではない。エイデンは少々過激なことを口走るが、イギリスなまりに聞こえなくもない話し方のウッドローはどちらかというと上品にも見える。そんな2人がある夜、仲間とバーに繰り出した。そこでミリーたち女子グループと出会う。

ミリー。「生きたコオロギ早食い競争」に買って出る、ちょっと変わった自由奔放な女性。口ばっかりの自称“女たらし”エイデンには目もくれず、大人しめのウッドローを彼女は気に入った。ウッドローも自分に無い物を持つ豪快なミリーに惹かれる。
Bellflower_2011初めてのデートでちょっと高価な夕食をと言うウッドローに、「世界一小汚くて、吐き気を催すような最悪の店に連れてって」と答えるミリーはとても魅力的だ。こんな変わった申し出にすぐに「じゃあ、ちょっと遠いけどオススメの店がある」と答えられるウッドローもなかなかいけてる。クールか、クールじゃないかの他愛ない話で楽しむ2人。
こうして2人の恋はゆっくりと着実に始まった。

ウッドローにとってはミリーが初めてと言うわけではないだろうが、本気本物の相手になった。しかし、ミリーは少し違っている。今は本気の相手だが、いつもすぐに飽きて違う相手を見つけてしまう。それがミリーなのだ。そして今回もそれは変わりなかった。

Bellflower_2011ウッドローが出かけるのを待って、元彼マイクとベッドにいるところを戻ってきたウッドローに見つかってしまった彼女。男2人はもみ合いになり、結局怒って出て行ったのはウッドロー。そしてバイクで走り出したところに車がぶつかり事故に。
怒ったのは親友エイデンだった。ウッドローがミリーと過ごしている間、一人で世紀末に向けての作業をしていた彼。大怪我を負い、心も傷だらけのウッドローをを支える。しかしウッドローは?彼の頭の中はミリーへの怒りと憎しみと、まだ残る愛情で一杯だったのだ。「この町を一緒に出ようぜ、俺たちの車で」と言うエイデンの言葉もよく耳に入らず、復讐の炎に焼かれるウッドロー。この後、彼のとった行動とは-


こういう風に書くと大きな声の怒鳴りあいに、いがみ合い、憎しみの言葉があふれていそうに見えるが、本作は違う。登場する時間の半分はビールにウィスキー、タバコをのんで、どこか中途半端で宙に浮いているような登場人物たち。ふわふわと漂っているようだが、大事な「大切な思い」や「怒る気持ち」はきちんと伝える。
そんな登場人物たちのイメージは物語が進むにつれ変わっていく。お坊ちゃんのようだったウッドローがどんどんやさぐれていき、あれほど魅力的だったミリーの魅力はどんどん失われていく。反対に最初はイヤな奴に見えたエイデンは実は友達思いのいい男で、観ている者は騙されたことに気付く。
こんな登場人物たちが住む世界。オレンジがかった厚みのあるオモチャの世界のような画作りや、カメラに土汚れが付いたままのシーンがあったりで、なんというかぽってりとした絵本の世界のようだ。特にそれは後半、顕著になる。

ミリーの浮気、事故の後にウッドローが考えたこと、妄想したこと、実際にとった行動。
結末はこれらが全て時系列もバラバラに、ミリーへの愛情と憎しみで混乱するウッドローそのままに表現されており、どれがホントにあったことなのか、分かりにくくなっている。
ウッドローにとって「こうあるべきだ」と思うことと、「こうありたい」という希望。
どっちがどっちなのかは観る者によって違うのだろう。
自分はエイデンとあの車で町を出た、と思いたいかな。
ではまた

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