『夜明けのゾンビ』(2011) - Exit Humanity –

南北戦争の時代に突然、人類を襲ったゾンビ化現象。本作は、この時代に生きた元南軍兵士エドワードが書いた日記を紹介する、というオープニングで始まり、彼の語りにより物語が進行していく。ゾンビとなった妻子を自らがとどめを刺したことで、苦しみ、呪い、死人のような顔つきとなった彼は、様々な人との出会いにより救いの道に導かれていく。
 
Exit Humanity_01
■夜明けのゾンビ – Exit Humanity -■

2011年/アメリカ/114分
監督・脚本:ジョン・ゲデス
製作:ジョン・ゲデス 他
撮影:ブレンダン・ウエガマ
音楽:ジェフ・グラヴィール 他
出演:
マーク・ギブソン(エドワード・ヤング)

アダム・シーボルド(アイザック)
ジョーダン・ヘイズ(エマ)
ディー・ウォーレス(イブ)
ビル・モーズリイ(ウィリアムズ将軍)
スティーヴン・マクハティ(ジョンソン軍医)

解説:
米国の南北戦争終結間もない時代にゾンビが現われるという異色の設定で、世界3大ファンタスティック映画祭のひとつ、スペイン・カタルーニャのシッチェス映画祭を大いに沸かせた注目作。ゾンビ化した妻子を、自らの手で葬るという形で失い、生きる希望をなくした元軍人が、ゾンビを使って劣勢をはねのけようという南軍の将の恐るべき陰謀を知る。本当に人間性を失ったのはゾンビか、人間かという問いを突きつけるテーマが光る。
 (WOWOW)
 
あらすじ:
南北戦争終結間もなく、突如、死者が蘇る疫病が蔓延。妻子がゾンビとなり自ら銃で打ち倒さざるを得なかった元南軍兵士エドワードは心を痛め、旅に出る。途中、妹を元南軍将軍一味に連れ去られたアイザックと出会い、妹の奪還を手伝うことになる。この一味は人をさらいゾンビに与えて、何かの実験をしているということだったが-

 


Exit Humanity_20111865年、アメリカ南部。
数日家を空けていたエドワードに“歩く死者”となった妻が襲ってきた。原因不明の病「死者のゾンビ化」が起きたのだ。やむなく銃で頭を撃ち抜き倒したエドワード。遺体を埋めて墓をたてるが、一人息子がいないことに気付く。慌てて愛馬にまたがり捜しに出るが、森の中をゆらゆら歩くゾンビの中に息子を見つける。息子はもはや父親を分からず、襲ってくる。その息子を抱きしめながら銃の引き金を引いた父親の心は壊れた。
 
息子を荼毘に付し、その遺灰を持って馬にまたがったエドワード。彼の行き先は、息子がいつか連れて行って欲しいと願った“エリスの滝”。この美しい滝は、戦争従軍中、エドワードの心を慰めた場所だ。この場所にたどり着くことだけが、今の彼の目的となった。そして馬にまたがり、ゆらゆら進んでいく彼もまたゾンビのようだった。
 
Exit Humanity_2011途中で出会ったアイザックは、眼光鋭く敏捷に動き、銃を自由に使いこなす。信用していいのかどうか判断しづらいこの男は、南軍の元将軍に妹を誘拐されたという。この元将軍は徒党を組んで人々を誘拐し、生け捕りにしたゾンビに与え、何かを実験しているようだとも。
話の流れで妹奪還を手伝うことになったエドワードは、アイザックとともに元将軍の根城を目指す。ゾンビが徘徊する森を抜け、ようやく到着した二人。そこで見たものは、集められた多くのゾンビと人々。人々は順番にゾンビの餌食にされていた。
この実験は、ゾンビに噛まれてもゾンビ化しないという噂の「免疫を持つ者」を見つけることにあった。元将軍一味は、それを使って生き延び、金儲けに利用しようと企んでいたのだ-

 
Exit Humanity_2011愛する守るべき妻と息子が不在中にゾンビとなり、銃で打ち倒さなくてはならなかったエドワードは、その自分の行いが許せずにいる。その彼がアイザックと出会うことにより、その妹エマと知り合い、非道な行いをしている将軍一味とも出会う。息子の遺灰を持ってゆらゆら馬に揺られていただけの彼が、人と出会うことで、感じ、考え、選択し、行動するようになる。
そんな彼らの周りを徘徊するゾンビ達。
最初は銃で撃ち倒していただけだったが、避けることを覚え、穴に落として封じ込めることを知る。
これらゾンビを他のモノに例えたとしたらどうだろう。
 金、誘惑、欲望、人の皮を被った悪魔、、、
 
これらを力で倒すだけではいつかは力尽きる。上手にふいっと避けて、自分の横を通り抜けていくようにするのも、一つの方法だ。それでも駄目な場合には、やはり仲間が必要だ。一人では無理でも協力し合えば切り抜けられる。
 
エドワードは日記の最後にこう書いて締めくくっていた。

ゾンビがさまよう世界でも
希望を失わない限り、
何でも可能にすることが出来る。
未来に向けて常に戦え。

 
戦い続ける限り、希望に繋がる。 希望を見出すことで、また戦えるのだ。
その戦う相手とは、「自分」だ。

 
本作はゾンビ映画でありながら、強いメッセージを分かりやすく発している。他にも何本か記事にしたゾンビものでも感じた、現代に生きる人間に対するメッセージだ。
ホラーにも色々なジャンルはあるけれど、ゾンビものには、他に無い社会派作品的な何かを感じることが多いな。
ではまた