『籠の中の乙女』(2009) - Dogtooth –

試験管ベイビーをそのまま閉ざされた空間で育てたらどうなるか? で思い出すのは『AKIRA』に出てくる特殊能力を持つ子供達だが、本作はあんな場合とは全く違う。目的は世間の汚いモノに触れさせたくない、害されたくないという両親の歪んだ理想による「箱庭ゲーム」な物語。厳しいルールの下、すくすく育った子供達の何も知らない純粋さに、思わずゾッとできる

■籠の中の乙女 - Dogtooth -■

Dogtooth

2009年/ギリシャ/96分
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:ヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ
製作:ヨルゴス・ツルヤニス
製作総指揮:イラクリス・マヴロイディス
撮影:ティミオス・バカタキス
出演:
クリストス・ステルギオグル
ミシェル・ヴァレイ
アンゲリキ・パプーリァ
マリー・ツォニ
クリストス・パサリス
アナ・カレジドゥ

解説:
第62回カンヌ国際映画祭“ある視点部門”でグランプリを獲得し、第83回アカデミー賞ではみごと外国語映画賞にノミネートされるなど世界中でセンセーションを巻き起こしたギリシャ発の不条理家族ドラマ。子どもたちを汚れや危険から守るべく歪んだ妄執に取り憑かれた父親によって、子どもたちが外界から完全に隔離された特殊な環境下で育てられている奇妙な家族の肖像とその崩壊を、過激な性描写を織り交ぜつつシュールなタッチで綴る。監督は本作で一躍世界的に注目を集めたギリシャの新鋭ヨルゴス・ランティモス。 (allcinema)

Contents

あらすじ:

ギリシャの郊外にある裕福な家庭。この家では両親が子供達を一歩も外に出さずに育てていた。「外は怖いところ」と信じ込ませ、学業、運動、情操教育さえも、全て高い塀の中で両親のおもうまま教えられた子供達は純粋に良い子としてすくすく育ったが、次第に塀の外への関心が強くなっていく-  


見どころと感想

ティーンエイジャーもそろそろ卒業か、という3人の兄弟姉妹達。広い敷地の大きな屋敷で、のびのびと暮らしている。勉強は両親に教えてもらう。運動も音楽も両親から。夕食は正装で行い、長男には父親の顔見知りの女性クリスティーナが定期的にあてがわれ、性処理までしてくれる。

Dogtooth

敷地は高い塀と生け垣に守られ、これらの外にはとても恐ろしい世界が広がっている。外に出るためには車が不可欠で、あともう一つ。外に出ることが出来るための大事な決まりがある(それが原題「Dogtooth:犬歯」の由来)。

ということで邦題は『籠の中の乙女』となっているが、2人の姉妹とともに男の子も1人いる。敷地内から出たことがなく、クリスティーナ以外の他人とは会ったことも話したこともない。電話はもちろん携帯電話も無く、インターネットも無く、テレビに映るのは自分たちのビデオだけ。「塩」の名前を「電話」と教えられ、猫は人を襲って食らう恐ろしい怪物だと信じている。勉強がよく出来たら点数シールをもらえて、貯めるとご褒美があるというルールも。

まるで小さな寄宿学校のようだ。校長は父親で、副校長は母親。ルールは厳しいが、その中で生きているには問題ない。必要な物は父親が全て用意し、ラベルは綺麗に剥がされ、正しい商品名すら分からないようにしている徹底ぶり。

「無い」ことだらけな世界だけれど、じゃあ代わりに何があるのかというと、両親を信じる心だけは他の普通の子供よりはある。普通の子供も小さな頃は両親の言うことが全てだろうが、ここの3人はティーンエイジャーになっても両親が教えることが全て。疑問を持とうにも「外の世界」が怖いということ以外は、何も知らないからだ。

Dogtooth

この3人の子供達の名前は最後まで分からない。何かの実験かとも思えるほど奇妙な家族だが、両親はいたって真面目に子供の行く末を案じ、子供達もそれに答えている。というより、この中が世界の全てだから、ただ単に両親の言いつけを守る良い子達なのだ。
そこに、唯一の外からの訪問者クリスティーナが波風を少し立てる。その波風は長女にまともに被さった。今の生活に疑問を持たないのは姉妹達と同じだが、ちょっとだけ外の世界に興味を持ったのだ。

Dogtooth

人というのは教えらることと同時に、自分で見聞きすることも大事で基本。そこから感じたり、疑問を持ったり、議論したり、怒ったり、傷ついたり、笑ったりが追加され、経験となっていく。今の時代、子供達に有害なモノがあふれているから、この両親の気持ちは分からないでもないが、ここまでやってしまうと、人でありながら「人間」では無い、何か他の生き物のようだ。

社会の中で生きているからこそ、常識と非常識、正常と異常などの感覚が必要で、また自然に培われていくものだが、家族だけの世界では羞恥心さえ育たないものなんだと感じてしまった。

作品途中で両親の結婚記念日パーティが開催されるが、この時の姉妹のダンスが、というよりその動きがなぜかかなり面白い。何が面白いのか説明出来ないけれどなんだろう?その後、ちょっと下界に汚された長女が一人でダンスするのか某有名なダンス映画の振り付けで、これまた、あまりにもその場にそぐわな過ぎて、笑えてしまう。でも長女はこのダンスで自分の考えていること、やってみたいことを全身で表現したのだろう..。

その後、外の世界を見てみたいと大胆な行動を起こした彼女。
本作の邦題は彼女のためのタイトルで、彼女の最後の姿なのかな、、というのが感想。籠に囚われた愛らしい乙女が白馬の王子に助けられたり、乙女が実は魔女だったというような物語ではないので、ご注意を。観終わった後、奇妙な感覚に囚われるのには間違いない。

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コメント

コメント一覧 (3件)

  • いくら正直さがよいと言っても、家族の悪口は御法度ですよね。この作品を作るにあたって、そんな経緯があったんですね。それにしても究極の世界です^^;
    ラストの遠吠えシーンから感じたのは、狭い穴で大事な子供を育てるキツネの親子。キツネさんなど動物なら微笑ましいですが、それでも少し大きくなったら外の世界でも生き方を教えますもんねー。
    どちらにせよ親はいつまでも生きてはいないんですが..

  • 父親のエゴともとれる行動が、この一家の悲劇なわけですが
    母親もそれを黙認してるところがもっと悲劇ですよね
    「ゾンビは黄色い小さな花の事よ」なんて教えているのが母親なんですから。
     
    監督は友人が結婚したときにその事で一言いって反感をかったらしく、
    人は、家族について何かを言われることに反発し
    それは家族がばらばらになることを恐れる故だということを感じ
    家族を守るために極端に走ってしまう父親を描くことを思いついたのだそうですね
     
    「家族」という籠の中では、ある意味でこの家族の姿もありなのかもしれない
    しかし、長女を探すため急いで塀を越えて探す父親と対照的に、
    母親、息子、次女が境界線で遠吠えをする姿が非常に哀れであり、ここに作品の全てがあらわれているなと思ったものでした

  • 籠の中の乙女

    この作品がアダルト扱いされている事にびっくりです。
    世の中の汚らわしきものの影響から守るため、両親は外の世界がいかに恐ろしいかを様々な形で信じ込ませ従順な子供たちはそれに従って成長していた。よってそこでは全く風変わりな文化が培われた。それが最も現れた場面が、ジャケット画像の直後に姉妹によって演じられる変なダンス。これがまー印象強かった。特に、途中から長女が一人で踊りだすダンスには、もの凄く…

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